中央公園(米ヶ浜砲台跡)

中央公園(米ヶ浜砲台跡)

神奈川県横須賀市深田台にある横須賀港や東京湾、対岸の房総半島を眺望する3.8haの公園が中央公園。実は帝国陸軍の米ヶ浜砲台跡を再生した公園で、戦前は秘密のベールに包まれた立入禁止の一帯でした。現在は、公園として整備され、横須賀や三浦半島の歴史・文化、自然を解説する「横須賀市自然・人文博物館」も建っています。

東京湾要塞を構成した砲台跡が公園に

明治政府は、清国北洋水師、さらにロシア太平洋艦隊の来攻を想定し、東京湾防衛のため深田台地に米ヶ浜砲台を設置。
明治24年、第1、第2砲台が完成し、東京湾上の3ヶ所の海堡(かいほう/人工島に配備した砲台)、猿島(国の史跡)、千代ヶ崎(国の史跡)、観音崎、富津元洲堡塁、大房岬などの砲台とともに東京湾要塞を構成していました(明治28年に東京湾要塞司令部を横須賀市上町に設置)。
明治37年、日露戦争で旅順攻略に手を焼いた日本軍は、米ヶ浜砲台にあった28サンチ榴弾砲6門を取り外し、箱崎高砲台8門などとともに旅順に送り、第二回旅順総攻撃以降に実戦で使用され、ロシア軍陣地や旅順港内のロシア軍艦隊を壊滅しています。

米ヶ浜砲台は、大正12年以降、関東大震災で崩壊した田戸演習砲台、深田演習砲台の代わりに28サンチ榴弾砲4門を備えた演習砲台として終戦を迎えています。
終戦直後には(終戦時に横須賀市の2割は軍用地でした)、横須賀遊園地協会準備委員会が組織され、横須賀児童遊園とする計画もありましたが、資金不足で工事途中で計画が断念され、横須賀市立中央公園になっています。

公園には多様な樹木が植栽されているほか、東京湾側はもちろん、晴れていれば富士山まで眺望。

ちなみに文化会館の脇から中央公園へと上る坂道が通称「これっきり坂」で、昭和51年に山口百恵が歌って大ヒットした『横須賀ストーリー』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)に登場する坂道。
山口百恵(小学2年生から中学生でデビューするまで横須賀在住)が21歳のときに執筆した自叙伝『蒼い時』(引退前年の昭和55年9月刊行)序章に「あの街を去る前日の中央公園。さようならと決して言わなかった友達。いつでも帰ってこいと言った友達。それなのに遠くなってしまった街」と意味深長に綴られたのがこの中央公園です。

名称 中央公園(米ヶ浜砲台跡)/ちゅうおうこうえん(よねがはまほうだいあと)
所在地 神奈川県横須賀市深田台19
関連HP 横須賀市公式ホームページ
電車・バスで 京急横須賀中央駅から徒歩15分
ドライブで 横浜横須賀道路横須賀ICから約5km
駐車場 文化会館駐車場(有料)を利用
問い合わせ 横須賀市公園管理課 TEL:046-822-8333
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
これっきり坂

これっきり坂

神奈川県横須賀市深田台にある、横須賀市文化会館脇から中央公園へと上る坂道(車道)が、これっきり坂。あくまでも通称ですが、ここが昭和51年に山口百恵が歌って大ヒットした『横須賀ストーリー』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)に登場する「急な坂道

大房岬砲台跡(東京湾要塞)

大房岬砲台跡(東京湾要塞)

千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口に突き出した緑豊かな半島にある大房岬砲台跡(東京湾要塞)。大房岬の砲台は江戸時代後期の文化8年(1811年)に江戸湾防備のために備えられた13門が始まり。その後、東京湾の入口を守る重要性から洲崎第一砲台と同

 

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