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ヘンリー・スペンサー・パーマーの碑

ヘンリー・スペンサー・パーマーの碑

神奈川県横浜市西区の野毛山公園は、近代水道発祥の地。旧野毛山配水池(敷地内は立入禁止)横、野毛山公園・展望地区に立つのが、ヘンリー・スペンサー・パーマーの碑。日本初の近代水道となる横浜水道を完成させ、横浜港第1期築港工事を提案したパーマーの胸像が立っています。

近代水道発祥の地に立つ、パーマーの胸像

ヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry Spencer Palmer)は、駐日英国公使パークス(Sir Harry Smith Parkes/明治16年、清国大使となり離日)の紹介で、明治16年、居留地などに水を供給するのに野毛山に浄水場を築くことが最適ということを神奈川県に提案。
道志川が相模川に合流した神奈川県津久井郡三井村(相模原市緑区三井、現在の津久井湖)で、取水した水を48km先の野毛山浄水場(標高50.6m)に送り、ここから居留地などに上水を給水したのです(明治23年に神奈川県から横浜市に移管、明治30年に取水口を相模川の鮑子取水堰に変更)。

英国公使パークスは、居留地に居住する人たちの要望として、コレラ対策としても重要な、上水道の整備を神奈川県令・沖守固(おきもりかた/明治14年神奈川県令に就任)に要望。
駐日英国公使パークスがパーマーを紹介したのは、パーマーはイギリス陸軍工兵少将ながら、香港で広東水道と香港水道の水道敷設の実績があったため。

コレラ対策としても重要だった上水道ですが、皮肉なことに英国公使パークスは、清国でコレラに罹患し没しています。
パーマーも明治23年、日本人女性・斉藤うたと再婚しますが、明治26年、脳卒中で没。

関東大震災で野毛山浄水場は全壊し、それに代わって完成したのが現存する旧野毛山配水池です。

ちなみに、ヘンリー・スペンサー・パーマーは、明治22年、横浜港の第1期築港工事を提案し、内防波堤と長さ460mという長大な鉄桟橋(現在の大桟橋)が完成しています。

ヘンリー・スペンサー・パーマーの碑
名称 ヘンリー・スペンサー・パーマーの碑/へんりー・すぺんさー・ぱーまーのひ
所在地 神奈川県横浜市西区老松町
電車・バスで 京浜急行線日ノ出町駅から徒歩7分
ドライブで 首都高速横羽線みなとみらいランプから約1.5km
駐車場 野毛山有料駐車場(110台/有料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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