熊本県熊本市にある宮本武蔵の墓、武蔵塚を中心に築かれた公園が武蔵塚公園。小倉藩から熊本藩に加増移封となった熊本藩主・細川忠利(ほそかわただとし)に招かれて肥後で晩年を過ごした宮本武蔵は、正保2年(1645年)、「恩顧をこうむった藩主の江戸参勤交代を草葉の陰から拝したい」と遺言を残し、千葉城跡の屋敷で62歳の生涯を閉じています。
藩主の参勤交代を見守った宮本武蔵が眠る武蔵塚
宮本武蔵は、正保2年5月19日(1645年6月13日)、千葉城跡の屋敷で没し(享年62)、葬儀後、遺言通り大将の甲冑姿で弓削(ゆげ)の大津街道(おおづかいどう=豊後街道)沿いに葬られたましたが、それが現在の熊本市北区龍田弓削の武蔵塚。
一帯は武蔵塚公園として整備され、武蔵塚には「新免武蔵居士石塔」と記された苔むした墓石が立っています。
熊本藩主の参勤交代は豊後街道(加藤清正が開削整備)を使い、熊本城の札の辻から、大津、内牧を経て豊後国に入り、鶴崎(肥後藩の飛地)から御座船に乗船し、瀬戸内海を東へと進み、大坂(現在の大阪港)で下船しています(歴代の熊本藩主は豊後街道を参勤交代道として228年間に97回使用)。
細川忠利、細川光尚(ほそかわみつなお)と熊本藩主細川家に2代にわたって仕えた宮本武蔵は、肥後街道を眺める武蔵塚に眠っている可能性が大なのです。
ちなみに、宮本武蔵の墓は、熊本市内にも他に数ヶ所、熊本県外にも数ヶ所あります。
武蔵塚公園 | |
名称 | 武蔵塚公園/むさしづかこうえん |
所在地 | 熊本県熊本市北区龍田町弓削1232 |
関連HP | 熊本市公式ホームページ |
電車・バスで | JR武蔵塚駅から徒歩15分 |
ドライブで | 九州自動車道熊本ICから約3km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 熊本市北区土木センター TEL:096-245-5050 |
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