熊本県天草市本渡町を流れる町山口川に架かる石造アーチ橋が山口の施無畏橋(やまぐちのせむいばし)。明治15年に、染岳の霊場・染岳観音院への登山口にある無畏庵(むいあん)の参道に架橋されたもの。明治4年に眼鏡橋が架けられましたが、崩落し、再建されたもの。天草を代表する眼鏡橋のひとつ。
無畏庵の架橋碑で、石工の名も判明
楠浦の眼鏡橋(くすうらのめがねばし/天草市楠浦町)と似た形状で、橋長22.73m、幅員3.03m、高さ4.2mの単一アーチ橋。
石材は、衹園橋(ぎおんばし/天草市船之尾町、国の重要文化財)と同じ、地元天草産の砂岩、下浦石です。
熊本県内のほかの石橋に比べて橋脚の間隔が大きく、極端に扇平なデザインの橋になっています。
中央が輪石のみで構成され、壁石の数が薄い点が特徴。
架橋以前には、参拝時には飛び石伝いに川を渡りましたが、増水時は参拝できなくなるため、明治4年に、石橋を架橋。
その積み方が悪く、崩落したため、明治15年に再建されたもの。
無畏庵(曹洞宗、本尊・千手観音)の参道に架かる橋で、無畏庵の門柱に、戸長、出納方、常詰、世話人、石工、寄進者などの名が刻まれています。
施無畏(せむい)とは、仏・菩薩 (ぼさつ)が衆生の恐怖を取り去って救済すること、転じて観音菩薩のこと。
架橋碑には、戸長の森孝徳(もりたかのり)、世話人の鶴田剛八(つるたごうはち)ほか9名が名を連ね、下浦村の大塚光治(おおつかこうじ)、錦戸才松(にしきどさいまつ)、三山織平(みやまおりへい)の3人の石工の名が記されています(大塚光治は、志安橋、市ノ瀬橋も担当した石工)。
6ヶ寺の信者98人が寄付をしており、村を挙げての大事業だったことがよくわかります。
天草には石造橋が数多く現存していますが、架橋碑が残される貴重な例となっています。
天草の現存する石造アーチ橋では楠浦の眼鏡橋(明治11年架橋)に次いで古く、架橋碑とともに熊本県の文化財に指定。
同じ町山口川の下流に架る石橋の衹園橋は、天保3年(1842年)架橋で、国の重要文化財に指定されています。
山口の施無畏橋 | |
名称 | 山口の施無畏橋/やまぐちのせむいばし |
所在地 | 熊本県天草市本渡町溝端 |
関連HP | 天草市公式ホームページ |
ドライブで | 九州自動車道松橋ICから約73km |
問い合わせ | 天草市観光文化部文化課 TEL:0969-32-6784/FAX:0969-23-5312 |
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