新熊野神社

熊野信仰盛んな1160(永暦元)年、後白河上皇が平清盛・重盛に命じて京に創建された神社が新熊野神社(いまくまのじんじゃ)。退位後に院政を敷いた際に、住まいとしたのが現在の京都市東山区に建つ法住寺周辺(法住寺殿)。その鎮守社として新熊野神社が、鎮護寺として平清盛が建てた三十三間堂(蓮華王院)があり、一画が後白河上皇と平清盛ゆかりの地となっています。

後白河上皇が平清盛に命じて造営

後白河上皇御所である「法住寺殿」の南東に建てられた新熊野神社は、熊野神社、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)とともに、「京都三熊野」のひとつに数えられる社。

境内にある大クスノキは、後白河上皇お手植えと伝えられる巨木です。

後白河上皇は、34回も熊野に参詣していますが、さらに平清盛に命じて紀州から土砂と材木を運ばせ、熊野になぞらえて新宮、つまりは新熊野神社を創建したのです。
その際に植えられたのが、この大クスノキ。

平安時代から安産の神様として有名で、地元では健康長寿、病魔退散、お腹の神様として信仰を集めています。
祈念しながら木をさすれば、諸願成就とか。

絵馬は、車馬安全祈願の「八咫烏(やたがらす)」。
能楽発祥の地でもあることから芸能上達のお守りもあるのでお見逃しなく。

神社の西には法住寺殿時代には巨大な池と園池があり、その西に建春門院が建築し、居住した最勝光院がありましたが、今は失われています。

後白河上皇の熊野詣

平治の乱の翌年、1160(永暦元)年に新熊野神社は創建されています。
その時、後白河上皇は34歳。
34回を数える後白河上皇の熊野詣ですが、実は1160(永暦元)年が最初の熊野詣の年です。
三井寺(園城寺)僧、法印覚讃(かくさん)を先達にして、平清盛を伴って10月23日に京を出発しています(熊野権現参詣は11月25日)。
本地垂迹思想の浸透していた平安時代、熊野本宮(熊野権現)は阿弥陀如来の浄土と考えられており、熊野信仰は神仏混淆、つまりは仏教信仰の一形態でした。
京において熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の統轄に当った熊野三山検校(くまのさんざんけんぎょう)は、三井寺(園城寺)が担っていたことから覚讃が先達を務めています。
つまり、当時は寺が熊野信仰、熊野詣を管轄していたことがわかります。
明治の神仏分離まで熊野は神仏混淆の聖地だったのです。

新熊野神社
名称新熊野神社/いまくまのじんじゃ
Imakumano-jinja Shrine
所在地京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
関連HP新熊野神社公式ホームページ
電車・バスでJR京都駅から徒歩15分。または、JR京都駅から市バス208系統で10分、今熊野下車、徒歩すぐ
ドライブで阪神高速道路8号京都線鴨川東出口から約1km。または、名神高速道路京都南ICから約5.5km
駐車場参拝者駐車場(10台/無料)
問い合わせ新熊野神社 TEL:075-561-4892
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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