南禅院

南禅院

南禅寺の塔頭(たっちゅう)寺院のひとつで、亀山天皇が文永元年(1264年)に造営した離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)の天上宮の跡地に建ち、天皇を祀るため別院とされているのが南禅院。天上宮の別名が南禅院でまさに天上宮の後身というかたち。

池泉回遊式庭園は、夢窓疎石の作庭と伝わる

南禅院
美しい方丈
南禅院
夢窓疎石作庭と伝わる庭園

京を焼け野原にした応仁の乱の後、荒廃していたものを、元禄16年(1703年)、5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院(けいしょういん=徳川家光の側室)により再建されたもの。
方丈は再建当時のもので、狩野常信(かのうつねのぶ)筆といわれる襖絵『柳鶯図』(りゅうおうず)が伝わります。

心字池を配した池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)は鎌倉時代末の夢窓疎石(むそうそせき=鎌倉時代末から室町時代初期に活躍した臨済宗の僧、作庭に長け後世に名園を残す)の作ではないかといわれ、国の名勝に指定されています。
左の奥に滝口の石組みが組まれ、上池は曹源池と呼ばれ竜の形に作られ中央に蓬莱島があり、下池には心字島が設けられています。

記録によると作庭された当初は、吉野の山桜、難波の葦、竜田の楓(奈良・斑鳩のカエデ)が移植され、井手の蛙(京都府綴喜郡井手町のカエル、古来、美しい鳴き声だとされていました)も放たれたという風流なものだったとか。
天龍寺庭園、西芳寺庭園(苔寺の庭)とともに「京都の三名勝史蹟庭園」のひとつ。

庭園の東南隅には宮内庁が管理する亀山法皇廟所もあります。

南禅院 3つのチェックポイント

南禅寺の塔頭寺院で、南禅寺発祥の地
京都で唯一現存する鎌倉時代の名園
「京都の三名勝史蹟庭園」のひとつ

南禅院
南禅院
名称南禅院/なんぜんいん
Nanzenin Temple
所在地京都府京都市左京区南禅寺福地町
関連HP南禅寺公式ホームページ
電車・バスでJR京都駅から市バスで34分、南禅寺永観堂前下車、徒歩8分で三門。または地下鉄東西線蹴上駅からインクラインをくぐり歩行者専用道を徒歩7分で南禅寺三門
ドライブで名神高速道路京都東ICから約14km
駐車場南禅寺駐車場(50台/有料)
問い合わせ南禅寺 TEL:075-771-0365/FAX:075-771-6989
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南禅院

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