明保野亭

明保野亭

京都市東区、「祇園・東山」と呼ばれる高台寺の南から清水寺にかけては、清水寺の参道である二寧坂(二年坂)、産寧坂(三年坂)、清水坂と、坂道が連続していますが、産寧坂沿いには、坂本龍馬も常宿のひとつにしていたという明保野亭(あけぼのてい)があります。当時と場所はやや異なりますが今も料理屋を経営。龍馬ゆかりの地になっています。

 司馬遼太郎『竜馬がゆく』にも登場

元治元年6月10日(1864年7月13日)の明保野亭事件の舞台にもなった場所。
映画などで有名な池田屋事件(新撰組が尊王攘夷派の志士を襲撃、尊王攘夷派の逸材が戦死し、維新に多大な影響を与えた事件)の残党捜索で、明保野亭に志士が潜伏しているという情報を入手した新撰組と会津藩士は、明保野亭に押し入り、会津藩士が土佐藩士・麻田時太郎に傷を負わせた事件です。
あまり知られない事件ですが、公武合体を支持した土佐藩主・山内豊(やまうちとよしげ/山内容堂)と会津藩との衝突の危機となり、土佐藩士・麻田時太郎、会津藩士・柴司の当事者両名がともに切腹というかたちで和解となったもの。

場所も経営も何度か変わっていますが、今も明保野亭では、京料理や龍馬にちなんだ料理「龍馬御膳」を味わうことができます。

 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では三条家に仕える土佐藩家老・福岡家の息女・お田鶴と、 坂本龍馬が密会していた場所として描かれていますが、あくまでも『竜馬がゆく』は小説で、お田鶴は、龍馬の初恋の人といわれる平井加尾(上士階級の家柄で、山内容堂の妹・信受院に仕えるために河原町・土佐藩邸で起居、兄は土佐勤王党で活躍した平井収二郎)をモデルとして司馬遼太郎が想像した架空の人物です。

明保野亭
名称 明保野亭/あけぼのてい
所在地 京都府京都市東山区清水2-222
関連HP 明保野亭公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで14分、清水道下車、徒歩7分。または、京阪本線五条駅から徒歩30分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 明保野亭 TEL:075-561-5963
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
産寧坂

産寧坂(三年坂)

京都市の東山山麓、八坂から清水寺へ通じる100mほどの石畳が三年坂と通称される坂道で、正式名は産寧坂(さんねいざか)。清水寺境内の子安観音への安産祈願の坂から付いた名といわれますが、その語呂と、転ぶと3年で死ぬなどという俗諺から「三年坂」と

池田屋跡

池田屋跡

元治元年6月5日(1864年7月8日)、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩の尊王攘夷派志士を近藤勇を中心とする新選組が襲撃した事件が池田屋事件(池田屋騒動)。その跡地には「池田屋騒動之址」という石碑が立って

 

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