東寺・小子房

「古都京都の文化財」として世界遺産に登録される東寺。平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜された名刹です。その東寺で、天皇を迎えるための迎賓館が小子房(しょうしぼう)。贅を尽くした建物は昭和9年の再建。小子房の西の門(蓮華門)は国宝です。

足利尊氏が本陣を構えた東寺、光厳上皇の御所が小子房

1336(建武3)年、湊川の合戦で楠木軍が破れた後(建武の新政の崩壊)、後醍醐天皇は比叡山に逃れます。
足利尊氏は都に入り、光厳上皇(こうごんじょうこう)を奉じて、弟の豊仁親王を擁立、光明天皇が即位します。
6月4日、足利尊氏は比叡山へと兵を進め、6月14日、光厳上皇は東寺へ入ります。
東寺が総本陣となり、光厳上皇の御所は西院・小子房、足利尊氏は食堂に身を置いています。
東寺は北朝の光明天皇の御所となり、比叡山は南朝の後醍醐天皇の御所となって南北朝時代が始まります。

南北朝の激動の時代、土塀で囲まれた東寺が本陣となり、比叡山の後醍醐天皇と対峙したのです。
新田義貞らとの洛中合戦において窮地に陥った足利尊氏は、東大門(通称「不開門」)を閉めて、窮地を逃れますが、その時まで、この小子房が光厳上皇の御所となりました。

昭和9年に再建された小子房には、「牡丹の間」、「瓜の間」、「枇杷の間」、「鷲の間」、「雛鶏の間」、「勅使の間」の6室があり、襖絵や壁画は堂本印象(どうもといんしょう)の作。
「牡丹の間」、「瓜の間」、「枇杷の間」、「鷲の間」、「雛鶏の間」には水墨画が、「勅使の間」には金色の地に極彩色で『渓流に鶴』と『日輪山嶽図』(にちりんさんがくず)が描かれています。
配される美しい庭園「澄心苑」(ちょうしんえん)は、平安神宮、円山公園、無鄰庵(山縣有朋別邸)、旧古河庭園などの作庭で知られる7代目・小川治兵衛の作です。
庭の奥に見える門は、隠棲のため東寺を後に高野山に向かう空海が旅立った国宝・蓮華門です。

東寺・小子房
名称東寺・小子房/とうじ・しょうしぼう
Shoshibo House,To-ji Temple
所在地京都府京都市南区九条町1
関連HP東寺公式ホームページ
電車・バスで近鉄京都線東寺駅(近鉄京都駅から2分・急行停車)から徒歩5分で南大門。地下鉄烏丸線九条駅から徒歩10分。JR京都駅からは八条口西口から徒歩15分で慶賀門
ドライブで名神高速道路京都南ICから約3.9km。または、阪神高速8号京都線鴨川西出口から約3km
駐車場東寺駐車場(150台/有料)
問い合わせ東寺 TEL:075-691-3325/FAX:075-662-0250
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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