『女ひとり』歌碑

『女ひとり』歌碑

京都府京都市左京区大原来迎院町、大原の里に立つのが、『女ひとり』歌碑。永六輔作詞、いずみたく作曲で、デューク・エイセスが歌った『女ひとり』(昭和40年8月発売)は、『いい湯だな』、『筑波山麓合唱団』などとともに「にほんのうた」シリーズの一曲で、京都を代表するご当地ソングになっています。

「恋につかれた」は、「恋に憑かれた」が正しい解釈!

『女ひとり』歌碑

この歌のヒットで大原、そして三千院を訪れる人が増えたという京都を歌ったご当地ソングの代表格。
「京都大原三千院」というストレートな出だしはもちろん、歌詞には栂尾(とがのお)の高山寺(こうざんじ/「古都京都の文化財」として世界遺産に登録)、嵯峨野の大覚寺(だいかくじ/真言宗大覚寺派の大本山)という3つの名刹が登場し、永六輔らしい作詞に。

シングル版のB面は福岡県のご当地ソング『ぼた山』で、残念ながらヒットにはなりませんでした。

昭和41年4月発売の美川憲一が歌った『柳ヶ瀬ブルース』がご当地ソングの皮切りともいわれていますが、永六輔、いずみたくの名コンビによる「にほんのうた」シリーズ(各都道府県にちなんで制作された楽曲全50曲)は、全国各県のご当地ソングを収録する形で、昭和40年にスタート、昭和44年に完結。
ヒット曲となった『女ひとり』も『柳ヶ瀬ブルース』の前年の曲です。

日本では未婚の若い女性が旅行することはごく少なかった1960年代(雑誌『an・an』創刊、国鉄の『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンは1970年・昭和45年スタート)、女性が京都の隠れ寺などを旅することを歌ったのは、当時としては斬新だったのです。
ちなみに、歌詞の中の「恋につかれた女」というのは、永六輔的には「恋に疲れた女」ではなく、「恋に憑(つか)かれた女」なんだとか。
『女ひとり歌碑でも「疲れた」ではなく、「つかれた」と刻まれています(ただし歌詞紹介で「疲れた」と表記しているものも多数ありますが、間違いということに)。
失恋した女性がメソメソと大原を歩くのではなく、恋に取り憑かれた女性が、ひとり京の隠れ里を歩く・・・、そんなシーンというわけなのです。
1960年代に起こったウーマンリブ(ウィメンズ・リベレーション/Women’s Liberation)を背景にした、ご当地ソングともいえるのかもしれません。

『女ひとり』歌碑
名称 『女ひとり』歌碑/『おんなひとり』かひ
所在地 京都府京都市左京区大原来迎院町400-3
電車・バスで JR京都駅から京都バス大原行きで57分、終点下車、徒歩2分。または地下鉄烏丸線国際会館前駅から京都バスで22分、大原下車、徒歩2分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約22km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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