【見学ガイド】安乗埼灯台

安乗埼灯台

三重県志摩市阿児町安乗、的矢湾(まとやわん)の入口に建つ安乗埼灯台(あのりさきとうだい)。太平洋に突き出した安乗崎に建つ灯台は、「灯台の父」といわれるリチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)の指導で明治6年4月1日、全国で20番目に点灯した灯台。

海の難所、安乗崎に建つ歴史ある灯台

安乗埼灯台

黒潮と親潮の潮境でもあり、しかも周辺には暗礁が多いことから古くから安乗崎、大王崎、鎧崎(よろいざき)は志摩三崎と称し、海の難所として有名でした。

安乗崎には、寛文12年(1672年)、河村瑞賢(かわむらずいけん)が西廻り航路を開いたことから、安乗湊は重要な経由地となり、延宝9年(1681年)、菜種油を燃やす燈明堂が建てられました(明治4年に廃止されるまで燈明台が使用されていました)。
油紙の障子囲いで火を点し、風雨のときは薪を焚き烽火(のろし)というスタイルで、沖ゆく船の安全を守ったのです。

明治6年4月1日、ブラントンの設計で初点灯した初代の灯台は、総ケヤキ造り、木造八角形で、灯火には石油ランプを使用(職員3人が常駐して管理)。
灯器は、大正12年に乙式石油白熱灯、さらに昭和7年には電化されています。

その後、灯台の基盤が海蝕により徐々に崩落し、昭和23年に現在の高さ12.7mの四角形コンクリート製に建て替えられています(初代の灯台は東京都江東区の「船の科学館」に保存)。

2代目の四角形の灯台も国の登録有形文化財で、内部が見学できる参観灯台になっています。
灯高15m、灯火部分の標高は35m、光達距離は16.5海里(31km)で、毎15秒に1せん光。
「日本の灯台50選」にも選定。

映画『喜びも悲しみも幾歳月』(昭和32年・木下恵介監督、佐田啓二・高峰秀子主演)の舞台(ロケ地)にもなっています。

秋冬の快晴の日には富士山を眺望することもあり、元旦には多くの写真家が集まって初日の出を拝みます。

また、安乗岬園地の入口に志摩市立の「安乗埼灯台資料館」が併設されているのであわせて見学を。

安乗埼灯台

旧安乗埼灯台は東京・台場で保存される!

初代の木造灯台は、昭和23年の新灯台建設時に記念灯台として港区の浜離宮、後に横浜の第三管区海上保安本部に移設。
さらに昭和48年、「船の科学館」に寄贈され、現在も屋外展示されています。
ただし、創建当時の部分はごく一部になっていて、大部分は後の修築部分です。

【見学ガイド】安乗埼灯台
名称安乗埼灯台/あのりさきとうだい
所在地三重県志摩市阿児町安乗岬
関連HP伊勢志摩観光コンベンション機構公式ホームページ
電車・バスで近鉄鵜方駅から三交バス安乗行きで20分、安乗下車、徒歩20分
ドライブで伊勢二見鳥羽ライン鳥羽ICから約32km
駐車場50台/無料
問い合わせ燈光会安乗埼支所 TEL:0599-47-5622
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

安乗埼灯台資料館

太平洋に突き出した安乗崎には、全国でも珍しい四角形の安乗埼灯台(見学可能な参観灯台)が建っています。この灯台が、江戸時代の燈明台から始まり明治6年、ブラントン設計の八角形の木造灯台が造られました。現在の四角のコンクリート灯台になったのは昭和

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