日永の追分

日永の追分

三重県四日市市追分3丁目、現在、国道1号の追分交差点がある場所が、日永の追分(ひながのおいわけ) 。追分とは、街道の分岐点のことで、日永の追分では東海道から伊勢参宮の伊勢街道が分岐していました。伊勢神宮二の鳥居が立ち、式年遷宮ごと(20年ごと)に神宮の古材を使って建て替えられています。

東海道と伊勢街道の分岐は、饅頭が名物の間の宿だった

東海道五十三次の宿場ではありませんが、四日市宿と石薬師宿の間の宿(あいのしゅく)としても機能し、旅籠(はたご=宿屋)の「浅草屋」「野口屋」、饅頭が名物の茶店「鍵屋」、両替商「綿屋」などが並んでいた場所です。
十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛』では、弥次さん(弥次郎兵衛)と喜多さん(喜多八)は、「鍵屋」という茶店の娘に惹かれて店に入り、居合わせた金比羅参りの男(実は手品師)と饅頭の食べ較べをして、まんまと罠にハマり、「盗人に 追分なれや まんぢうの あんのほかなる 初穂とられて」(喜多八)という歌まで残しているのです。

江戸時代後期に起こった「旅の大ブーム」の火付け役ともいわれる書に登場する日永の追分の描写ですが、饅頭が名物の茶店で旅人が休んだことがよくわかります。

「左いせ参宮道」、「右京大坂道」、「すぐ江戸道」と刻まれる標石(しるべいし)は、嘉永2年(1849年)の建立、常夜灯は安永3年(1774年)建立で、往時の旅を今に伝える貴重な遺構になっています。

日永の追分に立つ鳥居は二の鳥居ですが、一の鳥居は宮宿(名古屋市熱田区)からの七里の渡しを下船した桑名宿に立っています。
現在の鳥居は、平成28年10月、伊雑宮の鳥居で建て替えたもので、10代目になります。
往時には伊勢街道をまたぐように立っていましたが、現在は伊勢街道が鳥居の横を迂回し、元の鳥居の場所が公園化されています。

この地にあった明暦2年(1656年)建立の標石には、「京」、「山田」、「南無阿弥陀仏 専心」、そして「明暦二丙申三月吉日」と刻まれています。
現在は日永神社境内に移設されていますが、東海道に現存する最古の標石です。

日永の追分
歌川広重『丸清版・隷書東海道五十三次』に描かれた日永の追分
日永の追分
名称 日永の追分/ひながのおいわけ
所在地 三重県四日市市追分3-1
電車・バスで 四日市あすなろう鉄道追分駅から徒歩3分。または、JR南四日市駅から徒歩20分
ドライブで 東名阪道自動車道四日市ICから約10km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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