仙台城(青葉山公園)

仙台城(青葉城)は、1610(慶長15)年に伊達政宗が築城、以後270年間伊達家の居城となっていた東北の名城。将軍・徳川家康の警戒を避けるためあえて天守は設けられていませんでしたが、地形を生かした壮大な山城でした。仙台市街を見下ろす高台で眺望も抜群で、「日本100名城」、「日本の歴史公園100選」にも選定されています。

伊達政宗が築城した東北の名城

伊達政宗時代は青葉山山中に築いた本丸のみでしたが、2代藩主・忠宗は山麓部に二の丸を造営、平和の世となった寛永年間(1624年〜1645年)以降は二の丸が藩政の中心となりました。

国の史跡に指定される仙台城跡は、城址公園として整備され、二の丸城門や再建された大手門櫓、仙台のシンボルともなる雄々しい騎馬にまたがった政宗像を見ることができます。

仙台藩の初代藩主となった伊達政宗が本丸、西の丸、2代藩主の伊達忠宗が二の丸、三の丸(東の丸)を建造。
西の丸には宮城縣護國神社、二の丸には東北大学、三の丸には仙台市博物館が築かれています。

伊達政宗は、関ヶ原合戦後の1601(慶長5)年、旧暦12月24日(新暦1月28日)に青葉山に登り、仙台城の縄張りを実施。
初代藩主となった政宗の築いた城は、東に広瀬川(天然の外堀)が流れる青葉山の地形を生かした山城で、青葉山山麓の河岸段丘を活かして築かれています。

仙台という地名の意味は?

仙台という地名は、愛宕山にある大満寺の虚空蔵堂脇に安置されている千体仏が地名のルーツといわれ、当初は千体でした。その後千代となり、仙台城を築城する際に、伊達政宗が旧名「千代」から「仙台(仙臺)」に改めたもの。仙臺は「仙人の住む臺=理想の場」の意。中国の唐代の詩人・韓こう(こうの字は左側「広」+右側「羽」)の漢詩『同題仙遊観』の中の起句「仙台初見五城楼」から採ったもの。

天守の代わりに広大な御殿が並んでいた!

本丸の規模は東西267m、南北280mと諸大名の城郭の中で最大級のものとなっています。
しかし家康への忠義を示すために天守は造営しなかったので、2代藩主以降は二の丸が政治的な中心となりました。

天守の代わりに本丸、二の丸には62万石という大藩の政務を司る広大な御殿が並んでいました。

エスパーニャ(スペイン)から派遣されたセバスティアン・ビスカイノ(Sebastián Vizcaíno/1548年〜1624年)は、1611(慶長16)年に仙台を訪れ、『金銀島探検報告』に、
「城は彼国の最も勝れ、又最も堅固なるものゝ一にして、水深き川に囲まれ、断崖百身長を超えたる巌山に築かれ、入口は唯一つにして、大いさ江戸と同じうして、家屋の構造は之に勝りたる町を瞰下し、又一レグワを距てゝ数レグワの海岸を望むぺし」
と記しています。

大手門隅櫓のみ外観を復元

幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際には、奥羽越列藩同盟の盟主として幕府側の拠点となりましたが、戦火を見ることなく明治維新を迎えています。

戦前の国宝だった大手門、大手門脇櫓(隅櫓)、巽門は、残念ながら第二次世界大戦時の仙台空襲で焼失。
現在では石垣などで往時を偲ぶのみとなっています。

伊達政宗騎馬像の立つ本丸からは、杜の都・仙台都心と仙台平野の北部を一望に。
本丸には宮城縣護國神社が鎮座し、仙台城見聞館が建っています。
広大な二の丸は、東北大学の敷地。三の丸には仙台市博物館が建っています。

大手門隅櫓は、昭和42年に外観復元されていますが、復元された建物はこの大手門隅櫓のみとなっています。
本丸跡北面石垣、中門跡・清水門跡石垣が往時のように修復、復元されています。

仙台城(青葉山公園)
名称仙台城(青葉山公園)/せんだいじょう(あおばやまこうえん)
所在地宮城県仙台市青葉区川内1
関連HP仙台市公式ホームページ
電車・バスでJR仙台駅から仙台市営バス青葉城循環で20分、青葉城址下車、すぐ
ドライブで東北自動車道仙台宮城ICから約6.8km
駐車場150台/有料
問い合わせ仙台市教育局文化財課 TEL:022-214-8544/FAX:022-214-8399
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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