片倉家廟所

片倉家廟所

宮城県白石市の西側、白石城(仙台藩家臣・片倉氏の居城)を望む愛宕山の麓にある白石城主・片倉家の墓所が片倉家廟所。延宝8年(1680年)、片倉家3代の片倉景長(かたくらかげなが)が、この地を墓所に定め、初代・片倉景綱と2代・片倉重長(かたくらしげなが)の墓を菩提寺である傑山寺(けっさんじ)からここに移したもの。

白石城の城主・片倉家歴代の廟所

片倉家廟所

片倉家廟所には、往時のままに仙台の石工が造った10体の石造阿弥陀如来坐像が並んでいます。
幕末の11代・片倉宗景以降の当主と、夫人らは傑山寺を墓所としています。
少し西側の滝の観音近くには、伊達政宗を保育した乳母(実際には養育係)・片倉喜多(かたくらきた=豊臣秀吉に謁見し、秀吉はその才能から「少納言」と賞揚)の墓があります。

片倉氏は信州・伊那の片倉村(現在の長野県高遠町藤澤片倉)の出身。
陸奥国で伊達氏に仕え、出羽国置賜郡小松郷(現・山形県東置賜郡川西町上小松)に移り住みました。
関ヶ原の後の慶長7年(1602年)、伊達政宗が仙台藩主となると、白石城を賜り、元和の一国一城令の後も、例外的に城が認められた珍しい例です。
江戸時代の当主は初代の片倉景綱にならって片倉小十郎を名乗っていました。

片倉家廟所を築いた片倉景長は、寛文11年(1671年)の伊達騒動(だてそうどう=仙台藩のお家騒動で山本周五郎の歴史小説・NHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』で有名)の際、仙台藩の国家老として幼主・亀千代(伊達綱村)を補佐。
江戸幕府大老・酒井忠清邸で仙台藩家老・原田宗輔が刃傷に及ぶとの報が国元にもたらされると、伊達藩内に厳戒体制を敷いて混乱を未然に防ぎ、その結果として仙台藩は改易を免れています。
片倉家廟所が築かれたのは、事件の9年後。

名称 片倉家廟所/かたくらけびょうしょ
所在地 宮城県白石市福岡蔵本勝坂
関連HP 白石市公式ホームページ
電車・バスで JR白石駅からバスで10分、七ヶ宿線滝の下下車
ドライブで 東北自動車道白石ICから約7km
駐車場 25台/無料
問い合わせ 白石市商工観光課 TEL:0224-25-1321
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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