弘前城天守閣が動いた!

弘前城の天守がのる本丸の石垣。実はこの石垣、明治時代中頃に大きく崩壊。明治30年に天守が倒壊するのを防ぐために、本丸の内側へと天守を曳屋(ひきや=移動)して、石垣を修復しています。
弘前市出身の大工棟梁・堀江佐吉が工事を担って大正4年に完了、つまり天守は石垣の修復後、元の位置に戻されたというわけです。

3ヶ月かけて天守が移動!

時は経て、昭和の終わり。昭和58年の日本海中部地震で「石垣が膨らんでるのではないか」という指摘がありました。調査の結果、そのまま放置すれば地震などで石垣崩壊、そしてその上の天守が倒壊という危険があることがわかったのです。
そこで必要なのが「石垣の解体修理」。ところが修理の必要な本丸石垣には天守がのっています。まずはこの天守を100年前の曳屋と同様に本丸の内側へと70mほど移動させなければなりません。
3層で高さ14.4m、総重量400tもの建物を移動させるのですから、現代技術を駆使しても移動には3ヶ月がかかるとのこと。
「曳屋場所は背景に岩木山が見える位置を予定しており(下の画像)、平成27年でちょうど120周年を迎える弘前公園の新たな観光名所になることでしょう」(青森県東京案内所)。

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「弘前城天守曳屋」は平成27年8月16日にスタート。10月頃までかかって本丸なかほどに移動します。
平成28年度は、移転先で弘前城天守を公開。平成28年の秋頃から石垣解体工事が始まります。石垣解体は、まず石に番号を振ることから始まります。
「本丸東側石垣解体修理」の予定範囲は、全長100mにも及びます。この全体の石垣を解体し、そのうえで天守台付近から積み直しが始まります。
下の写真は取材時の平成27年9月6日の様子。移動用のレールが用意されています。

弘前城動く

工事完成は平成35年度

総工費26億というこの大事業。天守が元の天守台に戻るのはなんと平成33年度。石垣の修理が完全に終わるのは平成35年度ということです。

弘前城本丸の石垣は4代藩主・信政の命により、元禄12年(1699)に完成したもの。岩木山山麓の如来瀬から牛車やそりを使って石材を運びました。それまでの石垣は内濠(うちぼり)の水面あたりまでしかなかったようで、それより上部は土留めだったため、信政が石垣積み増しの工事を行なったというわけなのです。

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弘前城本丸は弘前公園の有料ゾーンにありますが、観光ボランティアガイドも常駐していますので、時間があればガイドを頼む手もあります。

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