平和台公園・平和の塔

平和台公園・平和の塔

宮崎県宮崎市北部の高台にある平和台公園。シンボルの平和の塔は、公園の中央にそびえる石柱で、高さ37m。塔の台座には、世界各地から集められた恒久平和の願いが刻まれ、その四隅には、荒御魂像(楯=武人像)、和御魂像(鏡・勾玉=工人像)、幸御魂像(稲穂=農人像)、奇御魂像(網=漁人像)をあらわす四神像が立っています。

戦前の国威発揚の塔は、平和の塔として現存

平和台公園・平和の塔

平和の塔自体は、軍靴の足音が高まる昭和15年、神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝う紀元二千六百年記念行事の一環で、「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」として完成したもので、「神国日本」のシンボル的な存在だったもの。

昭和21年、GHQの命で、国家神道、軍国主義、過激な国家主義と切り離すことができないという理由から「八紘一宇」の碑文と武人の象徴であった荒御魂(あらみたま)像が撤去され、昭和32年、「平和の塔」に改称されましたが、昭和40年に「八紘一宇」の文字が復元されています。

太平洋戦争に突入する際に、政府が国家の理念として掲げた「八紘一宇」に関しては、歴史学者の大部分は、神国日本を正当化するプロパガンダだと見なし(「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本とし先づ皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するに在り」=第2次近衛文麿内閣が決定した「基本国策要綱」の根本方針)、第2次近衛文麿内閣の基本国策要綱が出されたその年に、神武天皇を祭神とする宮崎神宮の近くに「八紘一宇の塔」を建設したのは、その場所にも大きな意味があったのだと推測できます。

昭和54に宮崎を訪れた昭和天皇は、平和の塔の前で県民の歓迎を受けるのを固辞していますが、入江相政侍従長の日記には「八紘一宇の前に立つは割り切れぬ気持ちがおあり」と記されています(昭和58年の衆議院本会議で、総理大臣・中曽根康弘も「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と発言)。

日本サッカー協会(当時・大日本蹴球協会)のシンボルマークのデザインでも知られる日名子実三(ひなごじつぞう)。
昭和40年に「八紘一宇」の文字が復元されたのは、「日名子の芸術作品だから元に戻すのが当然」という理由から。
戦前は「八紘一宇」を否定すると非国民とされたという苦い歴史もあり、「八紘一宇」に対しては多様な見解がありますが、平和の塔が太平洋戦争へと邁進する日本の歴史の生き字引的な重要な存在だということに違いはありません。

塔には、手をたたくと反響するユニークな仕掛けもあり、塔頂には光りを放つ照明灯も配されています。

名称 平和台公園・平和の塔/へいわだいこうえん・へいわのとう
所在地 宮崎県宮崎市下北方町
関連HP 平和台公園公式ホームページ
電車・バスで JR宮崎駅からタクシーで20分
ドライブで 宮崎自動車道宮崎ICから約11km
駐車場 244台/無料
問い合わせ TEL:0985-35-3181/FAX:0985-35-3182
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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