鵜戸神宮

日南市の日向灘に面した断崖の中腹、神武天皇の父、日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)を主祭神に6神を祀る神社が鵜戸神宮。社殿は鵜戸岬先端にある大きな海食洞内にあり、漁業、航海、縁結び、安産などのご利益から地元の人の厚い信仰を集めています。

縁結び、安産、育児を願う人々が集う神宮

東西38m、南北29m、高さ8.5mのという巨大な洞窟内には朱塗りの本殿があり、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる「下り宮」になっています。

神社の神域は、日子波限建鵜草葺不合命の降臨の地とされ、縁結び、夫婦和合、子授け、安産のご利益で知られています。
本殿背後の小高い山は、速日峯(はやひのみね)で日子波限建鵜草葺不合命の陵(みささぎ)、吾平山陵と伝えられています。

本殿横に祭られる御乳岩が有名。
この岩を触れたり、御乳岩から滴る水を使った「おちちあめ」が授与品として購入でき、これをなめると母乳の出が良くなるといわれていることから、女性の参拝客が多いのが特長。

また、社殿の前にある亀石は、投げた「運玉」がくぼみに入れば願いが叶うといわれる人気のパワースポットになっています。

社伝によれば創建は崇神天皇(『古事記』『日本書紀』に記される第10代の天皇ですが紀元前となります)の神代という古社。
782(延暦元)年、天台宗の光喜坊快久が勅命で別当寺を建立し、初代別当となって桓武天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」の勅号を賜っています。

中世には西の高野といわれる真言宗の道場(天照大神は胎蔵界の大日如来とする神仏習合=両部神道)ともなっていました。
1560(永禄3)年に戦国大名・伊東義祐(いとうよしすけ)によって社殿が再建され、1631(寛永8)年には飫肥藩5代藩主・伊東祐実(いとうすけざね)が改築しています。

明治維新の神仏分離、廃仏毀釈までは鵜戸権現と称し、藩政時代には飫肥藩の手厚い保護を受けていました。
明治2年に鵜戸神社となっています。

昭和40年代の日南海岸が新婚旅行のブームで盛り上がった頃には、新婚カップルが多く訪れる地として全国区となりました。

社殿は、神仏習合時代の名残を残し、本殿・幣殿・拝殿が一体となった権現造(八棟造)杮葺(こけらぶき)。
本殿裏の窪地にあるヘゴの群落は、国の天然記念物「鵜戸ヘゴ自生北限地帯」になっています。

周辺には吹毛井の港から神門まで872mの長さにわたる石段参道(鵜戸山八丁坂)、初代の快久を始め代々の別当や社僧の墓、大坂の両替商油屋善兵衛が1832(天保3)年に奉納した石灯籠、江戸時代に彫られた鵜戸山の磨崖仏などが残されています。

鵜戸神宮
名称 鵜戸神宮/うどじんぐう
所在地 宮崎県日南市宮浦3232
関連HP 鵜戸神宮公式ホームページ
電車・バスで JR油津駅から宮崎交通バス宮崎駅行きで20分、鵜戸神宮入口下車、徒歩20分
ドライブで 宮崎自動車道宮崎ICから約35km
駐車場 500台/無料
問い合わせ 鵜戸神宮 TEL:0987-29-1001/FAX:0987-29-1003
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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