吉水神社

吉水神社

吉野山、中千本に鎮座する吉水神社(よしみずじんじゃ)。明治初期の神仏分離令で後醍醐天皇、楠木正成、宋信法印を祀る神社となっています。後醍醐天皇の行宮跡で、秀吉の吉野の花見の本陣にもなったと伝えられています。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産。

後醍醐天皇や義経が逃れ、秀吉が花見の本陣を構えた由緒ある神社

吉水神社
源義経・静御前潜居の間
吉水神社
後醍醐天皇の玉座と伝わる部屋

もとは吉水院(きっすいいん)といい、金峯山寺の格式高い僧坊のひとつで、白鳳年間に金峯山寺を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)が創建と伝えられます。

人目を偲び吉野入りした後醍醐天皇が行宮として使用したとも、源義経と静御前らが追っ手から身を隠したとも伝えられる場所で、「源義経・静御前潜居の間」、「弁慶思案の間」や源義経の色々威腹巻(いろいろおどしはらまき・国の重要文化財)が残されています。

「義経潜居の間」は、文治元年(1185年)、兄・源頼朝の追討から逃げて愛妾の白拍子・静御前を連れて吉野山に籠もった際に、滞在した地と伝えられています。
人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ『義経千本桜』四段目、五段目はまさにここが舞台です。

文禄3年2月27日(1594年4月17日)、豊臣秀吉が徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗などの武将らを連れて吉野の花見を行なった際には、ここを花見の本陣としています。
吉水院(現・吉水神社)からの景色が、秀吉も絶賛したという「一目千本」(ひとめせんぼん)です。
檜皮葺き(ひわだぶき)の書院は、初期書院造りの代表的なもので国の重要文化財。
南朝時代の古文書や武具、秀吉の花見の際に使用した楽器などの宝物が多数残され、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。

吉水神社
名称吉水神社/よしみずじんじゃ
Yoshimizu Jinja Shrine
所在地奈良県吉野郡吉野町吉野山579
関連HP吉水神社公式ホームページ
電車・バスでロープウェイ吉野山駅から徒歩10分
ドライブで西名阪自動車道郡山ICから約35km
駐車場中門横・一目千本展望台(8台/無料)、観桜期は下千本駐車場(400台/有料)を利用
問い合わせ吉水神社 TEL:0746-32-3024
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
東南院

東南院

奈良県吉野郡吉野町、吉野山中千本にある役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづの)が開いた大峰山(大峯山)の護持院が、東南院。役行者は、大峰山開山・金峯山寺創建の際、巽(東南)の方角に護持院を建立して一山の安泰と興隆を祈願したと伝えられ

吉水神社・一目千本の桜

吉水神社・一目千本の桜

吉野山・中千本にある吉水神社の山門を入ったところにあるのが吉野山を代表する桜の名所、一目千本(ひとめせんぼん)。豊臣秀吉の吉野の花見の際にも、ここからの眺めに感動したと伝えられています。吉野の花見はやはり、山を敬い崇める意味からも山を見上げ

吉水神社・北闕門

吉水神社・北闕門

明治の神仏分離までは吉水院(きっすいいん)だったという奈良県吉野山の吉水神社。書院裏手にあるのが北闕門(ほくけつもん)で、吉野山から大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を経て大峰山(大峯山)に入山する修験者は、ここで邪気を払ったのだとか。吉水

吉水神社庭園

吉水神社庭園

文禄3年2月27日(1594年4月17日)の太閤秀吉の吉野での花見は、吉水院(現在の吉水神社)が本陣となりました。花見に際して豊臣秀吉自らが基本設計を行なったと伝えられる桃山式の庭園が、吉水神社の庭園。神仙思想による「不老長寿」を願う鶴亀蓬

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