唐招提寺・講堂

唐の高僧・鑑真和上が聖武天皇に招かれ、難行苦行の末にようやく来日、東大寺で多くの高僧に受戒していますが、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)旧邸跡に唐招提寺を創建。講堂は平城宮朝堂院の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を760(天平宝字4)年頃に移築改造したもの。もちろん国宝です。

奈良の都、平城京の宮殿・平城宮の東朝集殿を移築

唐招提寺・講堂は、奈良時代の宮殿建築の遺構として唯一のもの。
平城京にあった宮殿が現存しているのはまさに奇跡といえるでしょう。

入母屋造、本瓦葺きで、正面9間、側面4間。
もともとは切妻造りで、壁や建具のほとんどない開放的な建物だったと推測されていますが、寺院用に入母屋造リに改修し、建具を入れています。
現在の姿になったのは鎌倉時代ですが、解体調査の結果、東朝集殿当時のものとみられる柱が数本現存していることが判明しています。

逆に奈良市の平城宮跡では、唐招提寺に講堂として移築された「東朝集殿」の基壇が発掘されています(基壇は南北長38m、東西18m)。
平城宮では、北側から内裏、大極殿、朝堂院、朝集殿院が南北に並んでいました。
朝堂院が政務や儀式を行なう場であったのに対して、朝集殿院は朝堂院で行なわれる儀式が始まるまで役人が待機する場所であったと推測されています。

唐招提寺・講堂の堂内には講堂の本尊である木造弥勒菩薩坐像(鎌倉時代/重文)や木造持国天像(奈良時代/重文)、増長天立像(奈良時代/重文)が安置されています。

唐招提寺は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録。

唐招提寺・講堂
名称唐招提寺・講堂/とうしょうだいじ・こうどう
Toshodaiji Temple,Kodo(Lecture Hall)
所在地奈良県奈良市五条町13-46
関連HP唐招提寺公式ホームページ
電車・バスでJR奈良駅から奈良交通バス六条山行きで17分、唐招提寺下車すぐ。または近鉄橿原線西ノ京駅から徒歩10分
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約7.5km
駐車場150台/有料
問い合わせ唐招提寺 TEL:0742-33-7900/FAX:0742-33-5266
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

唐招提寺

南都六宗の一つである律宗の総本山が唐招提寺。唐の高僧、鑑真和上(がんじんわじょう)が聖武天皇に招かれて苦難の末に来日し、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸を譲り受けて創建した寺。当初は唐律招提と名付けられ(「招提」

唐招提寺・金堂

律宗の総本山が唐招提寺。金堂は古代寺院における本堂を表す呼び名。唐招提寺の金堂は、奈良時代建立の建物で金堂としては現存唯一する奈良時代の建物。もちろん国宝に指定されています。平成の大修理も終わり、往時の姿を取り戻しています。現存する日本最古

唐招提寺・鼓楼

唐招提寺の金堂・講堂と礼堂に挟まれて建つのが鼓楼(ころう)。鎌倉時代の1240(仁治元)年築の入母屋造り、本瓦葺きの2階建ての楼閣で、国宝。西側の鐘楼と対をなして建つのですが、現在では鑑真和上が唐から請来した如来舎利三千粒(にょらいしゃりさ

唐招提寺・宝蔵

唐招提寺の礼堂の東側に並んで建つのが宝蔵と経蔵。ともに奈良時代の校倉造りの倉庫で、並んだうちの北側が宝蔵。外観もよく似ているので、ほとんど区別がつきませんがいずれも国宝。その名の通り、宝物庫ですが、昭和45年に鉄筋コンクリートの収蔵庫「新宝

唐招提寺・芭蕉句碑

唐招提寺を開山した唐僧・鑑真和上は、大唐国揚州の高僧で、聖武天皇の招きに応じ、苦難の末754(天平勝宝6)年に渡来。その間12年を要し、両目を失明するという苦難も乗り越え東大寺に到着。この鑑真和上像に対面した芭蕉は「若葉して御目の雫拭(しず

唐招提寺・御影堂

唐の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう)は、度重なる難航海と両目失明という苦難の末に渡来、754(天平勝宝6)年に東大寺に到着しました。759(天平宝字3)年、東大寺戒壇院を退き、唐招提寺を創建。国宝の鑑真和上像を安置するのが御影堂(みえいど

唐招提寺・南大門

唐招提寺南大門は開祖・鑑真和上1200年遠忌を機として、昭和37年に天平様式で再建されたもの。五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。南大門をくぐると正面に金堂(国宝)、その背後に講堂(国宝)があります。かつては南大門と金堂の間に中門が

唐招提寺・経蔵

唐招提寺舎利殿(鼓楼)の東に建つ2つの校倉は北側が宝蔵、南側が経蔵でともに天平時代に建てられたものが現存し、国宝に指定されています。とくに経蔵は、唐招提寺創建以前、新田部親王(にいたべしんのう)の邸宅だった頃の遺構(米倉)で正倉院宝庫よりも

唐招提寺・礼堂

唐招提寺の巨大な講堂の東にある南北に細長い建物が礼堂(らいどう)。鎌倉時代の築で国の重要文化財に指定されています。南北19間のうち、北側10間が東室、南側の8間が礼堂で、その間にある1間は馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。仏舎利を

平城宮跡

710(和銅3)年、元明天皇により飛鳥藤原京から奈良に遷都された平城京。道路を碁盤の目のように整備して大極殿、内裏、朝堂院が並び、その中央北端にあった平城宮の宮城である平城宮は南北約1km、東西約1.3kmの規模。内裏や、役所、庭園などが設

よく読まれている記事

こちらもどうぞ