興福寺・北円堂

721(養老5)年8月、興福寺創建者、藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に、元明上皇、元正天皇の両女帝が太政大臣の長屋王(ながやのおおきみ)に命じて創建した八角円堂。日本に現存する八角円堂のうち最も美しいと賞賛される堂で、もちろん国宝です。

美しい八角円堂は8世紀の創建時の建物が現存

興福寺・北円堂
本尊は弥勒如来坐像、両脇が無著・世親菩薩立像(いずれも国宝)/特別開扉時のみ公開

往時には周囲に回廊が巡っていましたが、今では失われており、再建する計画が進んでいます。

安置する弥勒仏坐像は、晩年の運慶が一門の仏師を率いて鎌倉時代の1212(建暦2)年頃に完成させたもので、国宝。
同様に無著菩薩・世親菩薩立像も運慶一門の作で国宝です。
乾漆四天王立像(国宝)は、修理銘からもともと大安寺にあったものと推測され、平安時代初期の作で国宝です。

興福寺は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。

興福寺・北円堂
名称興福寺・北円堂/こうふくじ・とうこんどう
Hokuendo(Northern Round Hall),Koufukuji
所在地奈良県奈良市登大路町48
関連HP興福寺公式ホームページ
電車・バスでJR奈良駅から奈良交通バス市内循環で5分、県庁前下車すぐ。近鉄奈良線奈良駅の東改札口からすぐ
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約6.4km
駐車場興福寺駐車場(46台/有料)
問い合わせ興福寺寺務所 TEL:0742-22-7755
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

興福寺・三重塔

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興福寺・五重塔

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興福寺・南円堂

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興福寺

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