長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の南側に位置するのが、尖石遺跡(とがりいしいせき)。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた茅野市尖石縄文考古館の北側には竪穴住居6棟が復元された与助尾根遺跡があり、一帯が国の特別史跡・尖石石器時代遺跡です。
日本で最初に「縄文のムラ」の存在が確認された地
地元の御神体ともなっている尖った露岩の尖石様があることが名の由来の尖石遺跡。
八ヶ岳山麓、標高1050m〜1070mほどの高原地帯(尖石遺跡と隣接する与助尾根遺跡、与助尾根南遺跡)からは、縄文時代中期の竪穴住居が200軒余り見つかっています。
諏訪郡湖東村(茅野市)出身の俳人で考古学者・小平雪人(小平探一)の兄・小平小平治(こだいらこへいじ)は、東京高等師範学校で坪井正五郎のもとで考古学を学び、明治24年、『東京人類学会雑誌』誌上で初めて尖石遺跡(当時は広見の遺跡と呼ばれていました)を紹介。
これが学会への最初の報告です。
帰郷後、長野県尋常師範学校教諭として赴任するも夭逝し、『諏訪史』刊行のために、大正9年と大正11年に小規模な発掘調査が行なわれていますが、本格的な発掘調査は昭和4年の伏見博英(ふしみひろひで=伏見宮博恭王の第4王子)。
調査に参加した地元の泉野尋常高等小学校(現・茅野市立泉野小学校)教員・宮坂英弌(みやさかふさかず/茅野市尖石縄文考古館初代館長)が昭和5年から独力で精力的な調査を行ない、尖石石器時代遺跡の名称で、戦時中の昭和17年に国の史跡に。
戦後、日本で最初に「縄文のムラ」の存在が確認され、「縄文集落研究の原点」と称される遺跡になったのです。
茅野市尖石縄文考古館の常設展示室Aは、「尖石遺跡と宮坂英弌」で、展示室中央には、尖石遺跡を代表する「蛇体把手付土器」が展示されています。
尖石遺跡自体は草原が広がるだけで、縄文人の生活を実感できないので、縄文のムラが再現される与助尾根遺跡をあわせて見学するのがおすすめです。
日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」の構成資産にもなっています。
ちなみに、国宝「土偶」(縄文のビーナス)が発掘されたのは、棚畑遺跡(昭和61年9月8日出土)、国宝「土偶」(仮面の女神)は中ッ原遺跡(平成12年8月23日出土/中ッ原縄文公園として整備)で、八ヶ岳山麓、蓼科高原の周辺には縄文文化が花開いていたことがよくわかります。
尖石石器時代遺跡・尖石遺跡 | |
名称 | 尖石石器時代遺跡・尖石遺跡/とがりいしせっきじだいいせき・とがりいしいせき |
所在地 | 長野県茅野市豊平 |
関連HP | 茅野市公式ホームページ |
電車・バスで | JR茅野駅からアルピコ交通メルヘン街道バスで20分、尖石縄文考古館前下車 |
ドライブで | 中央自動車道諏訪ICから約11km |
駐車場 | 尖石縄文考古館駐車場(70台/無料)を利用 |
問い合わせ | 茅野市文化財課 TEL:0266-76-2386/FAX:0266-76-2700 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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