長崎県南松浦郡新上五島町、中通島の東端、頭ヶ島にあるのが頭ヶ島キリシタン墓地。頭ヶ島天主堂(国の重要文化財)、そして頭ヶ島の集落は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産ですが、頭ヶ島天主堂から徒歩すぐの場所にあるのが、頭ヶ島キリシタン墓地です。
頭ヶ島の集落は、世界文化遺産に!
頭ヶ島は、幕末までは無人島でしたが(伝染病の患者の療養地として人が近づかなかった島でした)、安政6年(1859年)頃から、中通島の鯛ノ浦の潜伏キリシタン(もともとは外海地域から渡った潜伏キリシタン)が迫害を逃れて移住した島。
有川の仏教徒・前田儀太夫(儀太夫の孫はカトリックに改宗)という開拓指導者のもとで信仰をカモフラージュしつつ、共同体を維持したのです。
明治維新後、久賀島から「五島崩れ」といわれる潜伏キリシタンの弾圧が始まり、頭ヶ島の潜伏キリシタンも捕縛され、算木責め(さんぎぜめ=三角に削った木を数本並べ、その上に正座させ、板石を膝の上に重ねる拷問)などの拷問を受けた後、有川の代官屋敷で3ヶ月に渡って改宗を迫られています。
明治6年に禁教令が廃止され、徐々に頭ヶ島にも島民が復帰。
その後、カトリックに復帰した信徒たちによって大正8年、禁教期における指導者・ドミンゴ松次郎の居宅・仮聖堂近くに建築されたのが頭ヶ島天主堂です。
幕末から大正時代にかけて、頭ヶ島はドミンゴ松次郎に従った潜伏キリシタンたちの頭ヶ島移住を発端に、上五島全体あるいは五島における宗教的なコミュニティーの中心的な拠点として存在したのです。
「頭ヶ島の集落」が世界文化遺産に登録されるのは、世界遺産登録にあたり、潜伏キリシタン関連遺産が重視されたから。
頭ヶ島キリシタン墓地も、通常の墓石の上に十字架が載せられた、特殊な墓石になっており、まさに「聖霊が宣教師の説教を通じて灯した火は、カトリック共同体の祈りの生活を隠れて維持した平信徒の中に息づいてきた」(フランシスコ教皇の談話)という歴史を物語るものです。
明治時代の初め頃までは、白浜全体が墓地だったようですが(伝染病で亡くなった人も埋葬されました)、明治38年頃にカトリック墓地が築かれました。
これが、現在の頭ヶ島キリシタン墓地です。
頭ヶ島キリシタン墓地ではGW前後にマツバギクが咲き誇り、フォトジェニックなスポットですが、マナーを守って見学を。
頭ヶ島の集落は、重要文化的景観「新上五島町崎浦の五島石集落景観」にも選定。
頭ヶ島天主堂のある白浜地区への入場は、上五島空港でシャトルバスに乗り換えてのアクセスとなります。
頭ヶ島キリシタン墓地 | |
名称 | 頭ヶ島キリシタン墓地/かしらがしまきりしたんぼち |
所在地 | 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷頭ヶ島683 |
電車・バスで | 上五島空港から徒歩20分、有川港からタクシーで25分 |
ドライブで | 有川港から約12km |
駐車場 | 頭ヶ島天主堂駐車場(30台/無料)を利用 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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