【完全攻略ガイド】 「天空の城」備中松山城

備中松山城

岡山県高梁市、高梁川を眼下にする臥牛山(487m)の山上に建つ山城が、備中松山城。岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、高取城(奈良県高取町)とともに日本三大山城のひとつ。往時の天守が残る現存12天守のうちでも唯一の山城で、雲の上にそびえる城郭は「天空の城」として人気です。日本100名城にも選定。

備中松山城の天守は、現存天守としては最高所に

備中松山城
山上にある本丸部分
備中松山城
本丸にそびえる天守

仁治元年(1240年)、承久の乱での恩賞で秋葉重信が地頭(じとう)となり砦を築いたのが始まりといわれ、中世の遺構を残す貴重な近世城郭として有名。
山陰と山陽を結ぶ要衝に位置するため、戦国から江戸時代にかけては三村元親(みむらもとちか)、宇喜多直家、小早川隆景(こばやかわたかかげ)らによる争奪戦が展開しました。

戦国時代末には小早川隆景の奮戦で毛利氏の領有となりますが、関ヶ原の合戦で毛利氏が西軍につき敗れた後、城番(小堀正次・政一)を設置。
その際、山城では不便なので、山麓に御根小屋が築かれ、政務は御根小屋で執られることに。

元和3年(1617年)、池田長幸が入城し、6万3000石で備中松山藩が立藩します。

寛永19年(1642年)、水谷勝隆が5万石で入封。
現存する城郭は天和3年(1683年)、時の城主・水谷勝宗(みずのやかつむね)により修築されたものです。

元禄7年(1694年)には水谷家が断絶し、赤穂藩主・浅野長矩が城を受取り、家老・大石良雄(大石内蔵助)が城番となっています。
その後は安藤、石川、板倉と譜代大名が城を守り、明治維新を迎えています。
戊辰戦争では無血開城しましたが、明治6年の廃城令で、山麓の御殿である御根小屋(おねごや)は破却されましたが、残る建物は不便な山上のため、放置されて荒廃しました。
その結果、天守などが破却されずに現存することに。

備中松山城
展示物もなく、往時の雰囲気が伝わります

美しい石垣と天守、二重櫓、三の平櫓東土塀が現存

備中松山城・登城地図
備中松山城・登城地図
備中松山城
見上げるような石垣に登城路が続きます
備中松山城
三の平櫓東土塀は国の重要文化財
備中松山城
三の平櫓東土塀(国の重要文化財)

天守の標高は430mと、現存する天守では松本城に次ぐ高所に建っています。
藩政時代には山麓に御根小屋(おねごや)という御殿を構え、実務はそこで執られていました。
天守、二重櫓、三の平櫓東土塀(さんのひらやぐらひがしどべい)は建築当時のままに現存し、国の重要文化財。
城跡は国の史跡、「日本100名城」にも選定されています。

近年、本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓などの復元ほか、天守も大改修が施されています。

松山城登山口バス停(標高87m/2合目)、城見橋公園駐車場(標高196m/5合目)、ふいご峠駐車場(標高291m/8合目)という位置関係で、天守が建つのは標高430mなので、ふいご峠からでも標高差は140mほどもあります。
松山城登山口バス停〜ふいご峠駐車場は登山道を徒歩30分。

車の終点ふいご峠から本丸へは山道を徒歩20分(滑りやすい場所もあるので歩きやすい格好と靴で入城を)。
冬期を除く土・日曜、祝日には城見橋公園〜ふいご峠にマイカー規制が実施され、城見橋公園駐車場からシャトルバス(登城整理バス)を利用。

備中高梁駅からは、タクシー、乗合タクシー(事前予約制)が利用でき、ふいご峠駐車場までは10分ほどなので、実は非常に効率的。
なお、備中高梁駅から歩けば、天守までは徒歩1時間30分ほど必要です。

備中松山城・二重櫓
国の重要文化財に指定される二重櫓

正保城絵図に見る 備中松山城

正保城絵図 備中高松城
正保城絵図 備中松山城(城郭主要部)

正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城と城下町の絵図が備中松山城。
櫓などの配置が正確に描かれて、軍事機密が幕府にまるわかりという仕組みです。

【完全攻略ガイド】 「天空の城」備中松山城
名称備中松山城/びっちゅうまつやまじょう
所在地岡山県高梁市内山下1
関連HP高梁市観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR備中高梁駅からタクシーで10分
ドライブで岡山自動車道賀陽ICから約11kmで城見橋公園駐車場。駐車場からシャトルバスでふいご峠駐車場へ
駐車場城見橋公園駐車場(110台/無料)、シャトルバスが運行していない日に限り、ふいご峠駐車場(14台)利用可能
問い合わせ松山城管理事務所 TEL:0866-22-1487
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
備中松山城・天守

備中松山城・天守

備中松山城は、大松山・天神の丸・小松山・前山(下太鼓丸)という4つの峰からなる臥牛山山上に建つ山城。本丸は標高430mの小松山に位置し、その最高所に建つのが天守。二重櫓と同様に天和元年〜天和3年(1681年~1683年)の建築で、国の重要文

備中松山城・三の平櫓東土塀

備中松山城・三の平櫓東土塀

日本100名城に数えられ、天守と二重櫓が往時のままに残される備中松山城。実は、現存する土塀も三の平櫓東土塀(さんのひらやぐらひがしどべい)、厩曲輪土塀(うまやくるわどべい)と2ヶ所あります。そのうち大手門を入った先にある三の平櫓東土塀は、国

備中松山城・二重櫓

備中松山城・二重櫓

備中松山城の本丸、天守の後方に建つ二重二階の櫓で、水谷勝宗(みずのやかつむね)の天守大改修の際、天和元年〜天和3年(1681年~1683年)の建築で、国の重要文化財。備中松山城内には14の櫓がありますが、天守と二重櫓以外に2階建て(二重二階

雲海展望台(備中松山城展望台)

雲海展望台(備中松山城展望台)

竹田城(兵庫県朝来市/標高353.7m)が雲海に浮かぶ「天空の城」として有名ですが、その絶景では岡山県高梁市の備中松山城(日本三大山城、日本100名城)も負けず劣らずです。雲海に浮かぶ「天空の城」は、備中松山城東側の尾根にある雲海展望台(備

日本三大山城VS日本三大水城

中世に山の頂に築かれた山城のうち、岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)の3城が「日本三大山城」。対する海を掘り代わりにした「日本三大水城」は、瀬戸内の高松城(香川県高松市)、今治城(香川県今治市)と豊後

日本100名城 山陽9城

日本100名城 山陽9城

中国地方の瀬戸内海側、山陽道は、現在の岡山県、広島県、山口県の3県。近畿と西国を結ぶ幹線ルート、そして重要な交易ルートの瀬戸内海沿いということもあり、名城が数多いエリアです。100名城に選定されるのは、津山城、備中松山城、鬼ノ城、岡山城、福

日本三大山城

日本三大山城とは!?

古代から中世に、険阻な山を利用して山上に築かれたのが山城。居住空間としては不便なため、山麓に居館が置かれたりしました。日本三大山城に数えられるのは、岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)の3城です。岩村城

日本三大「天空の城」とは!?

日本三大「天空の城」とは!?

雲海の上に天守がそびえる日本三大天空の城と称されるのは、越前大野城(福井県大野市)、竹田城(兵庫県朝来市)、備中松山城(岡山県高梁市)の3城。3城ともビューポイントがちゃんと用意されていますが、気象条件をまずはチェックし、確率の高いシーズン

よく読まれている記事

こちらもどうぞ