岡山県瀬戸内市牛窓にあり、港を一望する高台に建つ名刹、本蓮寺。江戸時代には西国大名の参勤交代の宿泊所として、また朝鮮通信使の接待所として客殿にある「謁見の間」が使われています。また客殿の庭は小堀遠州作と伝わる名庭で予約をすれば見学も可能です。
朝鮮通信使の宿所だった本堂が現存!
南北朝時代の正平2年(1347年)、京の妙顕寺座主・大覚大僧正が現在の本堂にあたる法華堂を建立したことに始まり、中国以西ではもっとも古い創建の日蓮宗の寺院。
現存する本堂は明応元年(1492年)の再建で、参勤交代で風待ち、潮待ちで滞在した諸大名、そして朝鮮通信使も眺め、宿所とした建物です。
寄棟造り本瓦葺で、中門、番神堂とともに国の重要文化財。
元禄3年(1690年)完成の三重塔は方三間三重の本瓦葺きで、比較的小規模ですが、被写体に絶好。
境内は朝鮮通信使遺跡として福山市鞆の福禅寺、静岡市清水区興津の清見寺とともに国の史跡に指定。
江戸時代に日本国と朝鮮国の善隣友好の使者として、12回渡日した朝鮮通信使。
牛窓港に寄港した際に、三使の宿館として4回利用さている。
後に三使の宿館が御茶屋に移った後も朝鮮通信使を接待する岡山藩の接待役の宿館になっています。
本蓮寺に残される漢詩「本蓮寺朝鮮通信使詩書」9点(岡山県立博物館に寄託)は、「朝鮮通信使に関する記憶」の一部として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されています。
第3回・寛永元年(1624年)の来日から、第6回・明暦元年(1655年)の来日まで、合計3回は、朝鮮通信使の中心的な役割を担う、正使・副使・従事官の三使が本蓮寺に宿泊していました。
第7回・天和2年(1682年)来日以降は、岡山藩が設置した御茶屋に宿泊するようになりました。
朝鮮通信使の牛窓寄港年表
年 | 人員 | 正使 | 副使 | 来日の主目的 | 牛窓の寄港・内容 |
慶長12年(1607年) | 504名 | 呂祐吉 | 慶暹 | 日朝修好など | 往路食事で寄港、帰路は通過 |
元和3年(1617年) | 428名 | 呉允謙 | 雲渓 | 大坂平定の賀 | 往路通過、復路に船泊、民家泊 |
寛永元年(1624年) | 460名 | 郭岦 | 姜弘重 | 家光襲職祝賀 | 往路本蓮寺泊、復路船泊 |
寛永13年(1636年) | 478名 | 任絖 | 金世濂 | 泰平の賀 | 往路・復路とも船泊 |
寛永20年(1643年) | 477名 | 尹順之 | 趙絅 | 家綱誕生の賀 | 往路本蓮寺泊、復路食事後船泊 |
明暦元年(1655年) | 485名 | 趙珩 | 兪瑒 | 家綱襲職祝賀 | 往路本蓮寺泊、復路通過 |
天和2年(1682年) | 473名 | 尹趾完 | 李彦綱 | 綱吉襲職祝賀 | 往路御茶屋泊、復路通過 |
正徳元年(1711年) | 500名 | 趙泰億 | 任守幹 | 家宣襲職祝賀 | 往路復路とも御茶屋泊 |
享保4年(1719年) | 475名 | 洪致中 | 鷺汀 | 吉宗襲職祝賀 | 往路御茶屋泊、復路通過 |
延享5年(1748年) | 477名 | 洪啓禧 | 南泰耆 | 家重襲職祝賀 | 往路御茶屋泊、復路通過 |
明和元年(1764年) | 477名 | 趙曮 | 李仁培 | 家治襲職祝賀 | 往路御茶屋泊、復路船泊 |
文化8年(1811年) | 328名 | 金履喬 | 李勉求 | 家斉襲職祝賀 | 対馬で交聘、帰還 |
本蓮寺 | |
名称 | 本蓮寺/ほんれんじ |
所在地 | 岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3194 |
電車・バスで | JR邑久駅から両備バス牛窓行きで18分、本蓮寺下車、徒歩3分 |
ドライブで | 岡山ブルーライン邑久ICから約7.5km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 本蓮寺 TEL:0869-34-2014/FAX:0869−34−5215 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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