岡山県倉敷市、倉敷美観地区に建つ倉敷出身の星野仙一氏のミュージアム、星野仙一記念館。倉敷商業から明治大学に進み、東京六大学野球で活躍後、中日ドラゴンズに入団。中日、阪神、楽天、日本代表の監督を務めた名投手で、名監督。中日、阪神ではリーグ優勝も経験しています。令和3年11月30日に閉館。
熱血闘将・星野仙一の人生を知る
星野仙一は、岡山県児島郡福田町(現・岡山県倉敷市福田町)に昭和22年1月22日生誕。
岡山県立倉敷商業高等学校に進学しますが、今一歩で甲子園出場は叶いませんでした。
その後、島岡監督のいる明治大学へ進学、東京六大学リーグで通算63試合に登板し23勝24敗、防御率1.91、199奪三振という好成績を残しています。
大学4年には、主将を務め、島岡監督からピンチになると「星野、なんとかせい」と叱咤激励されています。
島岡からは「命懸けでいけ」、「魂を込めろ」、「誠を持て」の3つの教えを徹底的に仕込まれ、後の熱血、闘将というイメージの基礎が築かれています。
それでも、当時の東京六大学リーグには法政大学に「法大三羽ガラス」と呼ばれた田淵幸一、山本浩司、富田勝、早稲田大学に谷沢健一、荒川尭がいるという黄金時代で、一度も優勝経験がありません。
水原茂が監督就任したばかりの中日ドラゴンズから1位指名を受け入団、エースとして活躍します。
現役時代の通算成績は、146勝121敗34セーブ。
「プロのピッチャーとしては200勝に到達できない二流の成績で終わったが、気持ちと気迫と気合いだけは誰にもひけをとらなかった思っている」(星野仙一)。
膵臓がんで、平成30年1月4日没。
星野仙一記念館の館内では大学時代、中日ドラゴンズ現役時代、日本代表監督時のユニフォーム、母親に初めて買ってもらったグローブなど200点ほどの資料を展示。
「俺、野球をやっていて良かった。とことんまで野球やっていて良かった。ずーっと野球と恋愛して良かった」、そして「記念館は私の人生そのもの」と星野氏は語っていました。
ビデオ鑑賞ルーム、オリジナルグッズなどを販売する売店を併設。
星野仙一記念館 | |
名称 | 星野仙一記念館/ほしのせんいちきねんかん |
所在地 | 岡山県倉敷市中央1-10-11ヒルトップビルC棟2階 |
関連HP | 星野仙一記念館公式ホームページ |
電車・バスで | JR倉敷駅から徒歩15分 |
ドライブで | 山陽自動車道倉敷ICから約5km。または、瀬戸中央自動車道早島ICから約4km |
駐車場 | なし/芸文館地下市営駐車場(177台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 星野仙一記念館 TEL:086-430-0001/FAX:086-430-0021 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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