矢喰宮

矢喰宮

吉備津神社と古代山城の鬼ノ城(きのじょう)のちょうど中間に鎮座する古社が矢喰宮(やぐいのみや)。吉備国平定のため派遣された四道将軍のひとり、吉備津彦命(きびつひこのみこと)と温羅(うら)と呼ばれた鬼(吉備津宮縁起によれば百済の王子)が戦った際に、吉備津彦命の放った矢と温羅の投げた巨岩がぶつかって落ちたという伝説が残る地です。

吉備津彦命と温羅の激突を伝える伝説の社

矢喰宮境内にある大小4つの矢喰岩(花崗岩)は、温羅が投げた岩で、その脇の竹は吉備津彦命の射た矢が根付いたものとのこと。

吉備津彦命の放った矢は2本あり、1本は岩に当たっりましたが、残りの矢は見事温羅の片目を貫き、血の流れた川が血吸川というのが伝承。
鯉になって逃げる温羅を鵜になって追いかけた吉備津彦命が飲み込んで退治したのが鯉喰神社です。
温羅は吉備冠者(きびのかじゃ)との別名も有し、製鉄技術をもたらし鬼ノ城を拠点に吉備を治めた渡来人の技術者ではないかとも推測できます(出自については出雲から来た、九州から、新羅から、百済からなど諸説あります)。
とすればヤマト王権と、地方豪族(吉備国)の対立の話が背景あることになり、岡山市ではこの伝承を元に、室町時代頃に『桃太郎』の説話が生まれたとしています(岡山市では温羅は百済の王子だったという伝承を採用しています)。

ただし、犬や鳥、猿が家来となり奥に退治するという姿は、中央集権国家と富国強兵を目ざす明治時代になってから。
さらにいえば、温羅の居城との伝承の鬼ノ城は、飛鳥時代(7世紀後半)に瀬戸内海沿岸の防備を目的にヤマト王権により築かれた朝鮮式の山城だということが判明しています。

矢喰宮
名称 矢喰宮/やぐいのみや
所在地 岡山県岡山市北区高塚
関連HP 岡山市公式ホームページ
電車・バスで JR足守駅からタクシーで5分
ドライブで 岡山自動車道岡山総社ICからすぐ
駐車場 20台/無料
問い合わせ 岡山市観光コンベンション推進課 TEL:086-803-1332
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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