備前国庁跡(国長宮)

備前国庁跡(国長宮)

古代、備前国の国庁(政庁)がどこにあったのかは定かでありません。岡山県岡山市中区国府市場には国長宮(こくちょうぐう)と称する神社があり、周囲に長森(ちょうのもり)、北国長、国長、南国長など国庁があったことを連想させる地名も残っている。備前国庁跡は岡山県指定の史跡になっていますが、国府域の確定には至っていません。

古代の備前国の政庁があったとされる地

古代、備前国で、国司が政務を司った役所が国庁。
そしてその一帯の官庁街・地方都市を国府と呼びますが、備前国の国府域は、100m四方ほどだと推測されています。

平安時代の史料に「備前国の国府御野郡にあり」と記されたものがありますが、一時的に対岸の御野郡に移されたと推測されています。
国長宮(神社)の参道前を東西に貫く里道は、古代から中世にかけての山陽道です。
北側にはに唐人塚古墳、賞田廃寺跡、そして神武天皇が日向から大和国への東征途上で、吉備国に営んだとされる行宮(かりみや)とされる高島宮伝承地(たかしまのみやでんしょうち)があります。

備前国庁跡から北に15分ほど歩けば、国司が参拝しただろう備前国総社宮があります。
備前国分寺跡、備前国分尼寺跡は北東8kmほどの場所にあり、車で15分ほどで移動可能。

備前国庁跡(国長宮)
名称 備前国庁跡(国長宮)/びぜんこくちょうあと(こくちょうぐう)
所在地 岡山県岡山市中区国府市場50ほか
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
備前国分寺跡

備前国分寺跡

岡山県赤磐市にある古代寺院の跡が備前国分寺跡。天平13年(741年)、国分寺創建の詔によって全国に建立された国分僧寺、正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)のひとつ。古代、備前国の国府は今の岡山市にありましたが

備前国分尼寺跡

備前国分尼寺跡

岡山県赤磐市、基壇などの残る備前国分寺跡と古代の山陽道を隔てて南側にあるのが備前国分尼寺跡。天平13年(741年)、聖武天皇の国分寺・国分尼寺建立の詔で、備前国に築かれた法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)の跡。東部分は仁王堂池、西側が農地

 

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