大松山城

大松山城

大松山城(おおまつやまじょう)は、中腹に備中松山城が築かれる臥牛山の山頂部に築かれた中世の山城。対して近世城郭の備中松山城は、小松山城と呼ばれています。創建は、鎌倉時代まで遡り、延応2年(1240年)、相模国(現・神奈川県西部)の豪族、秋庭重信だったと伝えられています。史跡としての備中松山城は、この大松山城を含んでいます。

大松山山頂に本丸を構えた中世の山城

大松山山頂に本丸を置き、天神丸山頂(臥牛山の最高峰で標高480m)に天神丸を、南に相畑(あいはた)の曲輪群(その下に小松山の近世城郭・備中松山城が築かれています)、西に伸びる尾根筋に二の丸、三の丸を配した縄張りです。
本丸、二の丸、三の丸の間には堀切を巡らせています。

戦国時代には城域を小松山まで拡大、江戸時代に小松山に天守が、山麓の御根小屋に御殿が築かれて、大松山の城は、価値を失っていきます。
天神丸と本丸の間の大池は、近世城郭の備中松山城の水の手遺構。

大松山城跡へは、山麓の御根小屋から徒歩1時間。
備中松山城(小松山城)本丸の後方(最北端)の水の手御門跡から、徒歩30分ほど。
山道を歩くので足回りはしっかりと。

ちなみに、備中松山城として国の史跡に指定されるのは、切通及び番所跡、大池、大松山城跡、天神の丸跡、相畑城戸跡、小松山城跡、中太鼓櫓跡、下太鼓の丸跡の8ヶ所です。

秋庭重信

備中国上房郡有漢郷(現・高梁市有漢町)の地頭で、通称は三郎。
もと相模の国(神奈川県)の武士。承久3年(1221年)の後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げた承久の乱の軍功で、この地の地頭になりました。
まずは台ヶ鼻城(現・高梁市有漢町)を築き、延応2年(1240年)頃に大松山城を築城しています。

大松山城
名称大松山城/おおまつやまじょう
所在地岡山県高梁市内山下
関連HP高梁市公式ホームページ
電車・バスでJR備中高梁駅からタクシーで10分で備中松山城。大松山城へは徒歩30分
ドライブで岡山自動車道賀陽ICから約11kmで城見橋公園駐車場。駐車場からシャトルバスでふいご峠駐車場へ
駐車場城見橋公園駐車場(110台/無料)、シャトルバスが運行していない日に限り、ふいご峠駐車場(14台)利用可能
問い合わせ松山城管理事務所 TEL:0866-22-1487
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
備中松山城

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