倉敷美観地区・今橋

倉敷美観地区・今橋

岡山県倉敷市、倉敷美観地区(倉敷市倉敷川畔伝統的建造物群保存地区)、大原美術館前の倉敷川に架かるアーチ石橋が、今橋。大正15年5月22日の皇太子(後の昭和天皇)岡山県行啓に合わせて架橋されたもの。よく見ると菊の御紋が付いています。

川面に映るアーチ橋が満月を生み出す設計

倉敷美観地区・今橋

大原美術館(昭和5年開館)と有隣荘・大原本邸(旧大原家住宅/現・語らい座大原本邸)を結ぶ橋で、観光客の利用も多い橋のひとつ。
大原美術館の創設者で、明治39年に倉敷紡績の社長となった大原孫三郎(おおはらまごさぶろう)の架橋。

大原美術館の礎となるコレクションを集めた洋画家・児島虎次郎(こじまとらじろう=大原奨学会の奨学生)のデザインで、大原孫三郎の干支(えと)にちなんで20体の竜が彫られています。

大正3年、大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源植物科学研究所)、大正12年に倉紡中央病院、大正15年には倉敷絹織(現・クラレ)を創設するなど今橋の架橋された頃は、まさに倉敷紡績の発展の時でした。

大原家は、500ha(東京ドーム107個分)の田畑を持ち、2500人もの小作人が働いていましたが、種や肥料、害虫・病気などの研究のため、大正3年、大原奨農会農業研究所を設立。

皇太子岡山県行啓は、大正15年5月19日、神奈川県横須賀港から軍艦「長門」に乗船して、5月21日朝、宇野港に入港。
その後、5月23日まで後楽園を寝所とし、22日に倉敷を見学、24日の朝、岡山駅から列車で広島駅に向けて出発しています。
倉敷では、原奨農会農業研究所、倉紡中央病院、倉敷紡績万寿工場、労働科学研究所(倉敷紡績万寿工場内)と倉敷紡績関係の場所を巡り、他の岡山県内の行啓地が寺社や景勝地だったので、当時の倉敷紡績の注目度の高さ、先進性、重要性がよくわかります。

今橋は何気ない橋ですが、こうした大原孫三郎の先見性とその功績、倉敷紡績発展の歴史を今に伝える文化遺産のひとつなのです。

倉敷美観地区・今橋
名称 倉敷美観地区・今橋/くらしきびかんちく・いまはし
所在地 岡山県倉敷市中央1-2-1
電車・バスで JR倉敷駅から徒歩15分
ドライブで 山陽自動車道倉敷ICから約5km。または、瀬戸中央自動車道早島ICから約4km
駐車場 美観地区南駐車場(177台/有料)、美観地区東駐車場(148台/有料)、倉敷市中央駐車場(175台/有料)などを利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
倉敷美観地区(倉敷市倉敷川畔伝統的建造物群保存地区)

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