沖縄県那覇市久米2丁目、波の上ビーチ・波上宮の背後にある中国式の庭園が、福州園。那覇市の市制70周年、福州市との友好都市締結10周年の記念事業として平成4年に開園。0.85haの園内に、福州を代表する風景を模した三山(千山、烏山、屏山)、二塔(白塔、烏塔)、一流(ミン江)が備わっています。
旧唐人町・久米に開園した中国式庭園
市街地にありながら0.85haという広大な敷地内に、四季を象徴する「明・穏・華」のテーマに分かれて、冶山・冶亭(やざん・やてい)など福州の風景が庭として再現、基本設計から造園までを福州市の技術者が指導し、手掛けています。
福州園の営業は昼の部(9:00〜18:00)、夜の部(18:00〜21:00)に分かれ、ライトアップされた夜の部もロマンチックです。
園内には中国料理店「福州園GARDEN」も営業、ルーローハン定食などを味わうことが可能。
併設の「クニンダテラス」には琉球王国と明国との関係、久米村(クニンダ)の歴史文化など、歴史資料を展示する展示室(無料)もあるのであわせて見学を。
琉球と明との冊封関係とは!?
琉球国王は、明(清)から冊封(さくほう)される関係(中国皇帝から国王として承認を受ける名目的な君臣関係)にありました。
琉球では、三山時代の1372年、中山察度王が明に朝貢、次いで南山王、北山王も朝貢し、朝貢貿易が始まり、明治8年、明治政府によって清への進貢が禁止されるまで、朝貢貿易が行なわれていました。
明と外交関係を結んだ琉球からは朝貢が行なわれましたが(明国王は琉球が朝貢時に使用する船舶を下賜)、明からは技術導入なども図られたほか、日本本土との貿易の中継点としても機能しました(北前船で運ばれた蝦夷地の昆布は琉球経由で中国へ)。
閩人(びんじん=福建省出身の中国人)と呼ばれる技能集団は久米村(現・那覇市久米)に定住し、久米三十六姓と呼ばれるように。
明の初代皇帝・洪武帝(こうぶてい)の命によったかどうかは疑問視されていますが、久米村には唐人町が築かれ、蔡温(さいおん)などの政治家も輩出しています。
福州園の造られた久米の地にはそんな歴史も秘められ、大正5年、第9代・鈴木邦義(すずきくによし)知事時代から沖縄戦で焼失するまで、福木山と呼ばれた現在の福州園の地に知事官舎が建っていました。
ちなみに那覇は、かつて海上に浮かぶ島々から成っていて「浮島」と呼ばれていましたが、久米村もその浮島の一部。
当初は、唐営、そして後に唐栄と呼んでいました。
福州園 | |
名称 | 福州園/ふくしゅうえん |
所在地 | 沖縄県那覇市久米2-29 |
関連HP | 那覇市公式ホームページ |
電車・バスで | ゆいレール県庁前駅から徒歩10分 |
ドライブで | 那覇空港から約3.5km |
駐車場 | 松山公園駐車場(有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 福州園管理事務所 TEL:098-869-5384/FAX:098-943-6366 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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