公益質屋跡

公益質屋跡

沖縄県国頭郡伊江村(いえそん)、伊江島の市街地にある戦争遺跡が、公益質屋跡。昭和4年12月、世界大恐慌にあえぐ伊江村の財政や村民の生活を救うため、政府の融資を受けて設立された村営の金融機関(質屋)で、沖縄戦の戦火をくぐり抜けた貴重なコンクリート建造物です。

無数の弾痕や砲撃の痕が残るコンクリート建築

公益質屋跡

公益質屋は、大正元年、社会福祉事業の一環として設置された非営利的な金融機関で、大正13年頃に全国に広まりました。
フランスの制度を基本にして、昭和2年8月1日には公益質屋法が施行され、地方公共団体や社会福祉法人により質屋が営まれることとなり、昭和14年には全国に1142の公益質屋が設置されています(公益質屋法は平成12年廃止)。
伊江島でも高利貸の暴利に苦しむ島民を救ったのが、この公益質屋でした。

沖縄戦で日本軍は城山に陣地を構えたため、城山の山麓に位置する市街地一帯は、昭和20年3月28日から残波沖(読谷村)の軍艦、そして米軍機から2週間にわたって昼夜問わずの壮絶な艦砲射撃、空襲を受け、村の建物はことごとく焼失。
その内容は、1平方メートルに1弾打ち込まれるというすさまじいものでした。

公益質屋は、質物の管理・保存のため強固なコンクリートで造られていたため、かろうじて原形をとどめています(伊江村の史跡に指定)。

公益質屋跡
伊江島空撮PHOTO MAP

多くの島民が犠牲になった伊江島戦と、「血ぬられた丘」

米軍は昭和20年4月16日8:00に西崎海岸から上陸を開始し、その後、南海岸中央部海岸から続々と上陸、4月17日からは1週間にわたって日本軍との壮絶な攻防戦(日本軍はゲリラ的な白兵戦・肉弾戦法で、爆雷もろとも体当たりする陸上特攻が繰り返されました)が続けられ、とくに城山南方の学校陣地(現・伊江村立伊江中学校)付近は米兵たちが「血ぬられた丘」と名付けたほどの激戦が展開しています(公益質屋はその一画にあります)。

4月21日の早朝に伊江島守備隊は玉砕、4月21日17:30に米軍は伊江島の確保を宣言しています。
玉砕後の4月22日にも、島民が避難した洞窟「アハシャガマ」に日本兵が機雷とともに飛び込んでの集団自決(強制集団死)が起こり、150人が亡くなるなど、島民を巻き添えにした戦争はようやく終結したのです。
その結果、軍人2000名、村民1500名が戦死しています。

その「沖縄戦が凝縮した」とも表現される「六日戦争」のシンボル的な存在が、島で一番の激戦地跡にある公益質屋跡なのです。

疎開しなかった島民4000名のうち、青年男子1000名が現地召集や防衛召集で部隊に編入されたほか、伊江島防衛隊、青年義勇隊、救護班、婦人協力隊などの名目で多くの島民が戦場へと駆り出されていました(最終的な特攻作戦では、避難中の住民を駆り出して戦闘班を編成し、島の女性も竹槍などを手に米軍への斬り込みを行なっていますが、ほとんどが米軍に察知され銃弾に倒れています)。

伊江島では、公益質屋跡から車で数分の場所で、戦争が終わったことを知らずに2年間、日本兵2人が暮らしていたガジュマルの木「ニーバンガズィマール」が残されています。

公益質屋跡
名称 公益質屋跡/こうえきしちやあと
所在地 沖縄県国頭郡伊江村東江上75
関連HP 伊江村公式ホームページ
電車・バスで 伊江港から徒歩20分
ドライブで 伊江島空港から約3.5km
問い合わせ 伊江村商工観光課 TEL:0980-49-2001
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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