淀川

淀川

琵琶湖(滋賀県大津市)から流れ出る瀬田川を源流に、京都府で宇治川と名前を変え、京都府大山崎町で桂川・木津川と合流し淀川となって大阪平野を流れ、大阪市で大阪湾に流れ出すのが淀川。幹川流路延長は75km、流域面積8240平方キロ(日本第7位)の河川です。淀川水系の支川数は965本で日本一の支川の数となっています。

最上流は大津市の瀬田川

淀川
宇治川(淀川本流)と桂川の合流地点(木津川も合流)、ここから下流が淀川

河川法上の淀川源流は、琵琶湖の湖口となる大津市。
瀬田川となって流れ出る場所に滋賀県道18号(大津草津線)の近江大橋が架かっています。
江戸時代の東海道は、瀬田の唐橋で瀬田川(淀川源流部)を渡っていますが、明治22年までは瀬田川に架る唯一の橋で、初代の橋は天智天皇6年(667年)の近江大津宮遷都の際に架橋されたといわれる歴史ある橋です。

河川法上の淀川源流は瀬田川ですが、琵琶湖に流れ込む多くの河川もあり、その河川のなかで大阪湾の淀川河口から最も遠い地点が、北国街道の難所として知られた滋賀県(長浜市余呉町)と福井県(南越前町)の分水嶺・栃ノ木峠(標高540m)。
栃ノ木峠を中央分水嶺とする水は、高時川、姉川となって琵琶湖に注いでいます。
この栃ノ木峠の長浜市側に「淀川の源」碑が立てられていますが、河口からの距離は170kmにもなります。

京の都と瀬戸内海を結ぶ淀川は、古代から治水が行なわれ、『日本書紀』には仁徳天皇時代に茨田堤(まむたのつつみ)が築かれたことが記されています。
淀川河口の難波津(現在の大阪港)近くに難波高津宮(なにわこうづのみや/場所は定かでなく、現在の大阪城近辺と推測されています)が築かれたことから、大阪平野に流れ込む淀川の治水は懸案事項だったのです。
この茨田堤はどこに築かれたのか定かでありませんが、大阪府門真市(かどまし)の茨田堤の鎮守として創建された堤根神社(つつみねじんじゃ)境内には茨田堤と伝えられるものの一部が残されています(大阪府史跡「伝茨田堤」)。

また、かつては宇治川の下流に巨椋池(おぐらいけ)という京都で最大の湖がありましたが、戦前に干拓されて農地となっています。
第二京阪道路巨椋池IC一帯が、その巨椋池の跡地です(京都競馬場内の池はその痕跡とも)。
この巨椋池から流れ出る川の河口部分が淀んでいたことが淀川の河川名の由来。

淀川
淀川の下流は大阪市内を流れ大阪湾に注いでいます

治水と舟運の歴史にも注目を

淀川
上流部・瀬田川の南郷洗堰(滋賀県大津市)

巨椋池を含めた河川改良事業のほか、江戸時代には角倉了以(すみのくらりょうい)の高瀬川開削など難波津(大阪港)と京を結ぶ舟運が開かれ、大坂では元和元年(1615年)、東横堀川と西横堀川を結んで木津川へ注ぐ道頓堀が完成し、「八百八橋」の水の都・大坂が形成されていきます。

明治以降の近現代にも治水事業は続けられ、明治政府にお雇い外国人として招かれたオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke)は、草津川・オランダ堰堤(滋賀県大津市)、デ・レーケ堰堤(京都府木津川市/不動川砂防歴史公園として整備)、淀川の河川改修と大阪港の築港(大阪府大阪市)などを行なっています。
また、淀川改修計画で、最上流部の瀬田川の川底を掘り下げ、川幅を広げて南郷洗堰が造られています(後に瀬田川洗堰に改修)。

下流の大阪市を流れる淀川で、淀川らしいのがワンド(湾処)。
明治時代、京都まで蒸気船が通行できるようにと施された「ケレップ水制」(粗朶水制)という流水制御工事で川岸に土砂が堆積し、本流と隔離された小さな池が誕生したもの。
大阪を流れる淀川には45ものワンドがありますが、城東貨物線・赤川鉄橋から菅原城北大橋南詰にある城北ワンド群(しろきたわんどぐん)が最大規模です。

淀川のもっとも河口部に架かる橋は、 阪神高速5号湾岸線(北港JCT〜中島TB)の神崎川橋で、その先が河口ということに。

淀川
これが淀川で特徴的なワンド

淀川源流・琵琶湖湖口|滋賀県大津市

淀川源流(旧余呉町が宣言)・栃ノ木峠|滋賀県長浜市

巨椋池跡・巨椋池干拓地|京都市伏見区

宇治川(淀川本流)、桂川、木津川の三川合流地点|大阪府島本町ほか

淀川河口・大阪港|大阪市

淀川
名称 淀川/よどがわ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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オランダ堰堤

オランダ堰堤

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