大阪府大阪市中央区、国の特別史跡となっている大阪城公園で、ニの丸南面の南外堀に面して並んだ一番櫓から七番櫓のうち、六番櫓とともに現存する2つの櫓のひとつが一番櫓。国の重要文化財に指定されていて、外堀を隔ててその勇姿が確認できます。
南外堀越しに眺めるのがベストショットポイント
南外堀に臨む二の丸南面隅櫓7棟のうち一番東に位置するのが、一番櫓。
この一番櫓を基点に、二番、三番と七番までの櫓が建っていました。
一番櫓を玉造門(たまつくりもん)を側面から防御する役目を有し、現存する櫓は、寛文8年(1668年)に大改修されたもの。
東面と南面に16の窓を開け、さらに多数の鉄砲狭間(てっぽうざま)・矢狭間、石落としで敵を迎撃する備えでした。
大坂城の徳川幕府による天下普請は、元和6年(1620年)に始まり寛永7年(1630年)に終了しているので、現存する建築物では千貫櫓、乾櫓がもっとも初期の段階に建築されたことが判明しています。
一番櫓の創建は、天下普請の後期、寛永5年(1628年)頃と推測され、残された部材の墨書銘から万治年間(1658年〜1661年)、寛文8年(1668年)、天保3年(1832年)の三度にわたり、修築されていることが判明しています。
面積は1階が167.98平方メートル、2階が96.31平方メートルで、高さは14.3m、そのバランスいい外観が実に絵になる櫓です。
隣接する二番櫓は大阪空襲で焼失、一番櫓も1層目西側と2層目南側の壁が焼け落ちましたが、戦後に修復、紙一重で焼け残ったことがわかります。
屋根瓦には、徳川家の家紋(葵の御紋)とともに、木下家の家紋の刻印が残されますが、豊臣秀吉の正室だった北政所(ねね=高台院)の実家・木下家が一番櫓の建築を担当しています。
日出藩の初代藩主となった木下延俊(きのしたのぶとし=北政所・高台院の甥)は、2代将軍・徳川秀忠の覚えも良く、元和5年(1619年)の将軍上洛に供奉、さらに大坂城普請では助役に登用され、重要な一番櫓を担当したのです。
大阪城公園・一番櫓 | |
名称 | 大阪城公園・一番櫓/おおさかじょうこうえん・いちばんやぐら |
所在地 | 大阪府大阪市中央区大阪城3-11 |
関連HP | 大阪城公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR・大阪メトロ森ノ宮駅から徒歩15分 |
ドライブで | 阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m |
駐車場 | 大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 大阪城パークセンター TEL:06-6755-4146/FAX:06-6755-4149 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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