大分県臼杵市(うすきし)にある江戸時代後期に建てられた武家屋敷が、旧丸毛家屋敷(きゅうまるもけやしき)。丸毛家は臼杵藩で町奉行役を務めた上級武士の家柄で、代々にわたり藩主・稲葉氏に仕えていました。臼杵市の文化財に指定。
江戸時代後期、臼杵藩上級武士の屋敷を公開
丸毛家は美濃国多芸郡(岐阜県南部、養老郡養老町一帯)の出身で、明智光秀の家臣、斎藤家の一族。
美濃の丸毛一族では、斎藤道三に仕えた丸毛兼利(まるもかねとし)が有名で、天正17年(1589年)に美濃国・福束城主となっているので、親族なのかも知れません。
臼杵藩丸毛家の祖先は本能寺の変後の山崎の戦いで、羽柴秀吉軍に敗れて流浪の身に。
寛永5年(1628年)頃、当主・丸毛忠勝の母方の祖母が稲葉良通(いなばよしみち=稲葉一鉄、春日局の外祖父、その子・稲葉貞通は臼杵藩初代藩主)の娘という関係で、臼杵3代藩主・稲葉一通(いなばかずみち)に200万石で家臣に取り立てられたと伝えられています。
武家屋敷の建物は来客用の座敷などがある「表」の空間と、居間や台所など、生活の場である「奥」の空間に分けられ、玄関も表玄関と家人用の内玄関があるなど、当時の上級武士の生活ぶりを垣間見ることができます。
内部には、上の間、次の間、下の間、仏間、居間、茶の間、台所などが配され、台所には昔ながらの竈(かまど)があります。
納屋を改修して造られたという五右衛門風呂では、薪を使った体験学習なども可能。
ちなみに臼杵城下は、城に近い場所は上級・中級武士の屋敷地、海添川に架かる竹尾橋一帯では足軽や鉄砲組の下級武士の屋敷地として形成されていました。
旧丸毛家屋敷 | |
名称 | 旧丸毛家屋敷/きゅうまるもけやしき |
所在地 | 大分県臼杵市海添本丁13 |
関連HP | 臼杵市公式ホームページ |
電車・バスで | JR臼杵駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東九州自動車道臼杵ICから約4.3km |
駐車場 | 8台/無料 |
問い合わせ | 臼杵市教育委員会文化・文化財課 TEL:0972-63-1111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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