大分県杵築市、サンドイッチ型城下町として名高い城下町・杵築の南台武家屋敷、きつき城下町資料館内にあるのが、一松邸(ひとつまつてい)。国務、逓信、厚生、建設大臣など数々の要職を歴任し、杵築市の初代名誉市民となった一松定吉(ひとつまつさだよし)の邸宅で、昭和4年の築。
一松定吉が昭和4年に建てた私邸
昭和32年に杵築市に寄贈され、「一松会館」として集会場的に使われていましたが、平成12年、市庁舎の移転に伴って「きつき城下町資料館」が隣接する現在地に移築復元。
高台に位置するため眺望も抜群で、杵築城と守江湾が一望のもと。
邸宅は、杉の柾目の一枚板を用いた縁側や格子天井(ごうてんじょう)の客用のトイレ、取り外し可能な「掛け障子」、戸袋を減らすために雨戸を直角に回転させる工夫を施した「回り戸」など、当時の木造建築の粋と技術を集めたものになっています。
杵築市名誉市民・一松定吉
一松定吉は、明治8年3月18日、大分県西国東郡美和村(現・豊後高田市)に生誕(波多家に生誕し、一松家の養子に)。
大分師範学校(現・大分大学)から明治法律学校(現・明治大学)に学び、司法省に入省。
長崎地方裁判所検事、大分地方裁判所判事、天草地方裁判所判事、横浜地方裁判所検事、大阪地方裁判所検事、大阪控訴院検事を経て、大審院検事に就任し、鬼検事の異名を残しています。
大正9年、弁護士になりますが(一松弁護士事務所開業)、昭和3年、大阪1区から立憲民政党公認で衆議院議員に立候補し、連続8回当選。
第1次吉田内閣の国務・逓信大臣、片山内閣の厚生大臣、蘆田均内閣の建設院総裁、芦田内閣の建設大臣を務めています。
昭和32年に私邸を杵築市に寄贈。
昭和48年6月8日、98歳で没。
杵築市名誉市民。
一松邸 | |
名称 | 一松邸/ひとつまつてい |
所在地 | 大分県杵築市南杵築193-1 |
関連HP | 杵築市公式ホームページ |
ドライブで | 大分空港道路杵築ICから約3km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 一松邸 TEL:0978-62-5761 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag