旧竹田荘

旧竹田荘

大分県竹田市、「歴史の道」として整備された殿町武家屋敷通りの一角、上殿町通りにある、田能村竹田(たのむらちくでん)の邸宅(国の史跡)が、旧竹田荘(きゅうちくでんそう)。高台に位置する旧宅は、現存する武家屋敷のなかでは、唯一公開されている施設です。

江戸時代の文人画家・田能村竹田の邸宅(武家屋敷)

旧竹田荘
旧竹田荘主屋

田能村竹田は、江戸時代中期に岡藩藩医の次男として生まれましたが、のちに岡藩の藩校・由学館(ゆうがくかん)の儒員となり、藩校の学頭も務めています。
若き日には、江戸から岡藩第8代藩主:中川久貞(なかがわひささだ)に招かれ侍医となった医師で儒学者の唐橋君山(からはしくんざん)を師として学んでいます。
藩主の中川久貞は、岡城の西にあった大勝院に円通閣を築き、円通閣には田能村竹田らが集い詩文書画の場となったのです。

寛政9年(1797年)、幕命を受けた岡藩第9代藩主・中川久持(なかがわひさもち)は、唐橋君山に地誌『豊後国志』の編纂を命じ、田能村竹田、儒学者・伊藤鏡河(いとうきょうか)も実踏調査を担って編纂に協力、寛政12年(1800年)に業半ばで唐橋君山は病没したため、田能村竹田、伊藤鏡河が後を引き継いでいます。

隠居後は各地を巡り、京・大坂で頼山陽(らいさんよう)をはじめとする、多くの文人墨客と交流、書画を極めた人物です。
とくに若き日の田能村竹田は、師である唐橋君山から多大な影響を受け、唐橋君山の紹介で江戸南画の巨匠・谷文晁(たにぶんちょう)との交流もあったのです。

しかし晩年は長崎に遊学するなど、中国の正統派にもっとも近い画風となり、「豊後南画」の祖とも呼ばれています。
田能村竹田の南画(国の重要文化財も多数)は、出光美術館、大分市美術館、竹田市歴史文化館・由学館などに収蔵されています。

2階建ての主屋からは城下を見下ろし、庭には隠居部屋の草際吟舎(そうさいぎんしゃ)、文化9年(1826年)築で、アトリエとして使用し、竹田の門人たちが集った補拙廬(ほせつろ)、筆を供養した筆塚などがあります(補拙廬は昭和57年の復元)。
竹田の往時を伝える貴重な遺構として、国の史跡に指定されています。

すぐ近くに、竹田市歴史文化館・由学館があり、城下町歩きの前に予備知識をインプットするためにもまずは、竹田市歴史文化館・由学館へ。
竹田市歴史文化館・由学館の企画展観覧(岡城ガイダンスセンターは入館無料)、岡城跡、旧竹田荘、瀧廉太郎記念館、佐藤義美記念館、竹田温泉花水月の6施設を利用できるお得な城下町パスポート「城下町文化施設共通観覧利用券」も用意されています。

旧竹田荘
補拙廬(ほせつろ)

豊後南画の祖・田能村竹田とは!?

田能村竹田

安永6年6月10日(1777年7月14日)、岡藩の藩儒医・田能村碩庵の次男として生誕。
兄・田能村周助没後、家督を継いで儒医になりますが、医を廃し、藩校・由学館において学問専攻となりました。
岡藩の藩士を引退した37歳で、画の道に入り、長崎、京・大坂、江戸を旅し、頼山陽、谷文晁と交流。
その後、帆足杏雨(ほあしきょうう)、後藤碩田(ごとうせきでん)、高橋草坪(たかはしそうへい)、田能村直入(たのむらちょくにゅう=田能村竹田の養嗣子)のいわゆる竹田門下四天王を育て、豊後南画の伝統を後世に伝えています。

「画家である前に人間であれ。技の人である前に道の人であれ」(画論集『山中人饒舌』)。

旧竹田荘
名称 旧竹田荘/きゅうちくでんそう
所在地 大分県竹田市竹田2083
関連HP 竹田市公式ホームページ
電車・バスで JR豊後竹田駅から徒歩12分
ドライブで 東九州自動車道大分光吉ICから約39km
駐車場 竹田市歴史文化館・由学館駐車場(13台/無料)を利用
問い合わせ 竹田市歴史文化館・由学館 TEL:0974-63-2200/FAX:0974-63-2200
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
竹田市歴史文化館・由学館

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