脊振めがね橋
長崎の眼鏡橋など九州各地には石造りのアーチ橋が数多くありますが、神埼市背振町にある眼鏡橋もそのひとつ。脊振めがね橋と呼ばれるその橋は、明治24年に総工費875円で城原川に架けられた長さ20m、幅6mの石造アーチ橋で、旧背…
長崎の眼鏡橋など九州各地には石造りのアーチ橋が数多くありますが、神埼市背振町にある眼鏡橋もそのひとつ。脊振めがね橋と呼ばれるその橋は、明治24年に総工費875円で城原川に架けられた長さ20m、幅6mの石造アーチ橋で、旧背…
佐賀県佐賀市にある古社、與止日女神社(よどひめじんじゃ)。『肥前国風土記』によれば百済(くだら)から仏教伝来の欽明天皇(きんめいてんのう)の御代に創建されたといい、祭神は神功皇后の妹、與止日女命 (よどひめのみこと)。肥…
佐賀県武雄市、武雄温泉株式会社が経営する共同湯のひとつが蓬莱湯(ほうらいゆ)。武雄温泉には豪華な貸し切り湯の殿様湯、家老の湯があるので、一般的な公衆浴場を「大衆浴場」と呼んでいますが、この蓬莱湯もそのひとつです。
現役の温泉施設の建物としては、日本最古という歴史ある公衆浴場が佐賀県武雄市にある武雄温泉元湯。武雄温泉では国の重要文化財に指定される武雄温泉の楼門、新館が有名ですが、明治9年築の武雄温泉元湯も風情たっぷりの公衆浴場です。…
佐賀県嬉野市の名湯で、斐乃上温泉(ひのかみおんせん/島根県奥出雲町)、喜連川温泉(きつれがわおんせん/栃木県さくら市)とともに「日本三大美肌の湯」ともいわれる嬉野温泉。そんな嬉野温泉を気軽に楽しめる日帰り入浴施設が「うれ…
『肥前風土記』にその名が記された佐賀県嬉野市の嬉野温泉(うれしのおんせん)は、「日本三大美肌の湯」のひとつとしても知られていますが、嬉野茶の一大産地としても有名。霧深い山々に囲まれた盆地で水にも恵まれた土地は、お茶栽培の…
佐賀県武雄市にある九州屈指の古社が武雄神社。天平3年(735年)、伴行頼に神託があり、大宰府を通じ朝廷に奏上して武内宿禰(たけうちのすくね=景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えたという伝説上の忠臣)を祭神として…
県木がクスノキ、県花がクスの花という佐賀県。巨大なクスノキが多い佐賀県で、県下ナンバー3の巨木が塚崎の大楠。昭和38年の落雷で、本幹の9m以上の上部が失われ、目下樹高は18m(南側の史枝)。それでも根回り38m、幹回り…
思いがけなく蘇州(そしゅう)を訪ねる機会を得て羽田から中国東方航空で約3時間。到着した上海・浦東国際空港から高速バスで西60kmの蘇州市へ向った。蘇州と聞くとシニア世代の中には、『蘇州夜曲』(西条八十作詩、服部良一作曲)…
佐賀県武雄市に鎮座する武雄神社の御神木が武雄の大楠。樹高30m、幹回り20m、枝張り東西30m・南北33mで、日本の巨木ランキングの第6位の巨樹です。推定樹齢3000年以上という老木のため、根元の内部は空洞となっています…
明治時代〜大正時代の政治家で、内閣総理大臣(第8・17代)、そして早稲田大学の創設者・大隈重信(おおくましげのぶ)が、天保9年2月16日(1838年3月11日)の誕生から東京へ移るまで過ごした生家が大隈重信旧宅として佐賀…
佐賀市の佐嘉神社境内にある安永元年(1772年)、佐賀藩鍋島家の始祖・鍋島直茂(なべしまなおしげ)を祀るために創建された神社が松原神社。鍋島直茂の法号(高伝寺殿日峯宗智大居士)から日峯(にっぽう)大明神(日峯宮)と称して…
ボルドーと対比されるフランスの二大ワイン生産地、ブルゴーニュワインの試飲会が6月早々、夜の東京・八芳園で開かれた。華道家の木村貴史氏の手で活けられた生け花台の上にワインボトルが一緒に飾られ、粋で豪華な雰囲気を演出するのは…
佐賀県多久市にある多久聖廟(たくせいびょう)は、宝永5年(1708年)、多久鍋島家4代・多久茂文(たくしげふみ)が、儒学の祖・孔子を祀るため、邑の学問所(後の東原庠舎)に建てた孔子廟。現存する孔子廟(孔子を祀るお堂)とし…
焼き物の町、有田らしい塀がトンバイ塀。トンバイとは耐火レンガのことで、解体した登り窯の不要になったレンガや窯道具、陶片を赤土で塗り固めて造られたのがトンバイ塀です。現代流にいえばリサイクル品活用の壁で、路地に有田ならでは…
宮崎県日南市の古来、貿易で栄えた油津にある古社が吾平津神社(あひらつじんじゃ)。社伝によれば和銅2年(709年)創建で、かつては乙姫大明神と称し、江戸時代、飫肥11社の一社として歴代飫肥藩主の尊崇を受けていました。社前の…
「エッ!」、「オォー」・・・。地上の入口から階段を下りて現れた異様な地下空間に旅人たちの驚きの絶叫がこだました。それは30数年前、中国西安市郊外の「秦の始皇帝陵墓」そばの地下軍団「兵馬俑」を筆者が見た折り、まわりの外国人…
日本の棚田百選に選定の日南市の棚田が坂元の棚田。日南市の最高峰である小松山(988.8m)の南斜面3.5haを利用して70枚の棚田が造られています。もともとは茅葺き屋根を葺く茅(かや)を刈る茅場でしたが、大正末から棚田へ…