尖閣湾
佐渡の北西、外海府(そとかいふ)の達者(たつしや)から北狄(きたえびす)に至る約4kmの海岸線が尖閣湾(せんかくわん)。何万年にもわたって浸食された高さ30mにもおよぶ海食崖と岩礁、大小の岩と洞穴、紺碧の海とが織りなす自…
佐渡の北西、外海府(そとかいふ)の達者(たつしや)から北狄(きたえびす)に至る約4kmの海岸線が尖閣湾(せんかくわん)。何万年にもわたって浸食された高さ30mにもおよぶ海食崖と岩礁、大小の岩と洞穴、紺碧の海とが織りなす自…
海中公園、そして日本の渚百選にも選定の佐渡を代表する景勝地、尖閣湾(せんかくわん)。海中透視船(グラスボート)が3月中旬頃〜11月下旬頃まで運航し、海上から尖閣湾の名付け親・脇水鉄五郎がフィヨルドに例えた断崖を見物するこ…
周囲17km、面積4.9平方キロメートル、佐渡、両津湾に通じる新潟県内最大の海跡湖が加茂湖(かもこ)。日本の離島で最大の湖沼。もとは淡水湖でしたが、明治37年、水害予防と船溜まりの目的で、両津湾とは水路で結ばれて汽水湖と…
慶長6年(1601年)、佐渡が上杉氏支配から幕府支配に変わり、佐渡金山の開山にともない、老中配下の遠国奉行の一つとして置かれた佐渡奉行。慶長8年(1603年)には、大久保長安によって佐渡奉行所が創建。往時の建物は何度かの…
対馬海流の荒波によって削られた海食崖や海岸段丘が発達した景勝地、佐渡の外海府(そとかいふ)の先端部分に突き出すようにそびえる岩が大野亀。50万株100万本のトビシマカンゾウの群落で、例年5月下旬〜6月上旬頃に見頃を迎えま…
佐渡島屈指の景勝地、外海府(そとかいふ)にある佐渡でももっとも美しい海水浴場が二ツ亀海水浴場。佐渡ジオパークのジオサイトとしても注目の二ツ亀(沖の島、磯の島)を眼前にするビーチです。砂利浜ですが、海水の透明度は佐渡随一を…
佐渡北端、海上に連なる沖の島(67.1m)、磯の島の2つの岩島が、2匹の亀がうずくまっているように見えることから名が付いた二ツ亀。景観の雄大さと透明度においては佐渡随一の二ツ亀海水浴場や、温水シャワーや水洗トイレも完備す…
佐渡島の中央部に広がる国中平野、佐渡市新穂(にいぼ)地区にあるトキの保護増殖事業を行なう佐渡トキ保護センターに隣接するのがトキの森公園。「トキ資料展示館」と「トキふれあいプラザ」を見学することで、トキの生態を学び、実際の…
海蔵寺から源氏山公園へつながる化粧坂(けわいざか)の切り通し。武蔵国府(現在の府中市・国分寺市)へと通じる古道の鎌倉側の入口で「鎌倉七切通し」(鎌倉七口)のひとつになっています。昼なおうっそうとした暗い道で、昔ながらの土…
「5月と7月に館山ではダイヤモンド富士を見ることができます。これをもっと観光の目玉にしたい」というのが金丸謙一館山市長以下、観光行政の考え。「実はパール富士も素晴らしいんだけど、これは撮影が難しいので」(金丸謙一市長)と…
二条城南にある神泉苑は、平安京選定と同時に計画され、平安京大内裏に接して築かれた禁苑(一般の人は入れない天皇家の庭)。現在では聖観音・不動明王・弘法大師を本尊とする東寺真言宗の寺になっています。かつての大内裏南に位置し、…
鳴門の渦潮を船から間近に眺める「うずしお観潮船」。鳴門観光港を出航する鳴門観光汽船は、旅客定員400名という大型観潮船「わんだーなると」(所要30分/予約不要/車椅子での乗船も可能)と水中観潮船「アクアエディ」(所要25…
鴨川市天津の神明川の河口に広がる南房総屈指の透明度を誇る海水浴場が城崎海水浴場(しろさきかいすいよくじょう)。最寄りの駅は外房線安房天津駅(あわあまつえき)で駅から徒歩20分ほど。背後の山には日蓮聖人が立教開宗した聖地、…
鴨川市内浦、内浦湾の奥に広がる汀線(浜の長さ)500mというロングビーチが内浦海水浴場。JR外房線安房小湊駅(東京駅発の特急「わかしお」停車駅)から徒歩1〜2分という好立地で大風沢川河口で便宜的に第1、第2海水浴場に分け…
鴨川市の太海(ふとみ)にある太海海水浴場は、汀線(浜辺の長さ)320m、奥行き60mで、波静かなファミリー向けの海水浴場です。左に弁天島、右に仁右衛門島を眺め、磯遊びや釣りのできる海水浴場で、太海フラワー磯釣りセンター、…
鴨川市の東江見にある江見海水浴場は、JR内房線江見駅から徒歩5分という立地の良さでファミリーやカップルにも人気。汀線(浜辺の長さ)200m、奥行き60mとさほど規模は大きくありませんが、ペット同伴も可能。海水浴場開設期間…
神奈川県横須賀市の久里浜にあるアメリカ海軍提督マシュー・カルブレイス・ペリーが、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)に久里浜海岸に上陸したことを記念したペリー上陸記念碑を中心とした公園。明治34年7月14日に除幕され…
北鎌倉の建長寺の門前の山ノ内と扇ヶ谷(おうぎがやつ)を結ぶ山越えの道が亀ヶ谷坂 (かめがやつざか)。「鎌倉七切通し」(鎌倉七口)のひとつで、仁治元年(1240年)、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の「山内の道路を造らるべきの由…