近世を中心に水運など海上交通を活用でき、街道など陸上交通の要衝に築かれたのが平城。天下普請(てんかぶしん)で築かれた名古屋城、三重の堀に囲まれた岡山城、「最も広い島地」に築かれた広島城が、日本三大平城と称されています。名古屋城を外し、二条城を三大平城に数える場合もあります。
名古屋城
所在地:愛知県名古屋市中区本丸1-1
築城年:中世の城=大永年間(1521年〜1528年)、近世城郭=慶長17年(1612年)
築城者:中世の城=駿河守護・今川氏親(いまがわうじちか=今川義元の父)、近世城郭=徳川家康(天下普請)
主な城主:徳川義直、以降歴代の尾張藩主
史跡:国の特別史跡(愛知県では唯一の特別史跡)
文化財:表二之門、深井丸西北隅櫓、本丸東南隅櫓、本丸西南隅櫓は国の重要文化財
備考:織田信長の居城だった那古野城(現・名古屋城二の丸部分)のあった場所に名古屋城の築城
熱田湊と名古屋城を結ぶ堀川を開削して築城に使う木曽檜などを運搬
名古屋城の築城に伴う清洲越し(きよすごし=6万人規模の都市移転)と呼ばれる城下の大移転を慶長17年(1612年)頃〜元和2年(1616年)に実施
往時の国宝天守は空襲で焼失、現在の天守は昭和34年再建の復興天守、本丸御殿も平成30年に完成し公開
日本三名城のひとつ
岡山城
所在地:岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
築城年:天正元年(1573年)
築城者:宇喜多直家(宇喜多秀家の父)
主な城主:大規模な改修者=宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠雄
史跡:国の史跡
文化財:月見櫓、西の丸西手櫓は国の重要文化財
備考:宇喜多秀家は、旭川を取り込み豊臣家の一翼を担う大大名としての居城にふさわしい姿に7年を費やして大改修
関ケ原合戦後、小早川秀秋が外堀を築いてさらに守りを固め、池田忠雄は用水路として西川を整備し、城下の西限に
池田光政が藩主となった寛永9年(1632年)までに西(毛利氏、福島氏)を睨む三重の堀と、西川という近世的な城郭が完成
その結果、池田光政の子・池田綱政は大名庭園として後楽園(日本三名園)を築庭しています
広島城
所在地:広島県広島市中区基町21-1
築城年:天正17年(1589年)
築城者:毛利輝元(もうりてるもと=豊臣政権の五大老)
主な城主:毛利輝元、浅野長晟(あさのながあきら)
史跡:国の史跡
遺構:石垣、堀が現存
備考:毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯の「最も広い島地」に築いた(そのため「島普請」とも)平城
築城前年の天正16年(1588年)には、毛利輝元が叔父の小早川隆景を伴って京の聚楽第(じゅらくだい)と大坂城を視察、縄張りには小早川隆景と親しい黒田孝高(黒田如水)も参加(比治山に築城するという意見を退けたのも黒田孝高)
往時の天守は原爆で倒壊し、現在の天守は昭和33年復興天守(大天守、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓を再建)
二条城
所在地:京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541
築城年:慶長8年(1603年)
築城者:徳川家康、造営奉行=京都所司代・板倉勝重(いたくらかつしげ)
主な城主:徳川家康以降の徳川歴代将軍
史跡:国の史跡、世界遺産「古都京都の文化財」
文化財:二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財
備考:徳川将軍家の京の守護を担う城、上洛時の宿所
現存する本丸御殿は京都御所にあった旧桂宮御殿を明治26年から1年をかけて移築
二の丸御殿は桃山時代武家風書院造りの代表格(二の丸御殿の黒書院は、将軍と親藩大名・譜代大名の対面所、白書院は、将軍の居間・寝室)、二の丸庭園は小堀遠州作の名園で国の特別名勝
大政奉還の発表が行なわれたのは二の丸御殿大広間です
日本三大平城とは!? | |
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