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岡本さんのルーツを探せ!

大姓51位の岡本さんは、全国に29万人ほどが暮らし、シェアは0.23%ほど。岡(丘)のふもと、または背という意味の地形姓ですが、飛鳥時代(あすかじだい)に舒明天皇と斉明天皇は岡本宮を宮廷にし、古代の豪族、帰化人にも岡本の名があるので、そのルーツを探る旅は、当然、飛鳥・斑鳩(奈良県明日香村)から始まります。

明日香と斑鳩に古代の岡本さんのルーツが

岡本宮跡といわれる世界遺産・法起寺

古代の苗字は姓(かばね)と呼ばれ、元々は朝廷から与えられた家格の称号でした。
それらの八色姓(やくさのかばね)は、真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・導師〈みちのし〉・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)などで、その第一位が真人。

そして第四位が忌寸なのですが、岡本氏のルーツを辿れば、岡本真人(丘基眞人)が出てきたり、漢帰化族の岡本忌寸(おかもとのいみき)が現れます。
どうやら岡本氏は古代からの豪族であったようなのです。


──大和国高市郡丘基(おかもと)を発祥とする岡本氏は、6世紀の敏達天皇(びだつてんのう)の後裔・岡本真人の流れで、河内国交野(かたの)郡岡本を発祥とする岡本氏は渡来系坂上氏族の岡本忌寸を生んでいます。
ほかにも岡本さんの祖先には古代の豪族が目白押し。
大和国高市郡丘基は、現在の奈良県高市郡明日香村岡に比定されています。

大和国からは八咫烏命(やたがらすのみこと)の末裔という岡本氏が出、また、大国主命を祖に持つ大三輪氏(おおみわうじ=大神氏)や賀茂氏と同族の岡本氏も輩出。
さらに近江国からは大中臣(おおなかとみ)氏族の岡本氏が生まれています。

岡本氏の歴史とは直接の関係はないはずですが、舒明天皇(じょめいてんのう)は、舒明天皇2年(630年)、大和国に飛鳥岡本宮(あすかおかもとのみや)を開いたので、岡本天皇ともいわれたとか。
「岡本宮」は、文字どおり岡(雷丘)のふもとに立地していたことに由来する宮殿です。

奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある法起寺(ほうきじ)は、「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界文化遺産に登録される古刹。
実はこの地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と伝わりますが、はたして。

岡本宮があったと有力視される明日香村岡地区にある岡本寺。
実はこの寺は、舒明天皇の岡本宮旧蹟を伽藍として、「岡本寺」としたとも伝えられているので、岡本さんの貴重なパワースポットに間違いありません。
本尊・如意輪観世音菩薩は平安時代末期の木彫坐像で、「子安観音」として、安産、求子、良縁にご利益があるとのこと。

明日香村岡地区にあったと推測される岡本宮ですが、現在のところ、宮跡は特定されていません。
それでも岡本宮があったと推測される明日香村岡地区も、法起寺のある斑鳩町岡本もまさしく、古代からの岡本さんのルーツに違いないので、岡本さんならまずは明日香村、斑鳩町へ。

法起寺

法起寺(ほうきじ)は、別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺とも呼ばれる寺で、聖徳宗の総本山。聖徳太子が法華経を講じたという岡本宮(おかもとのみや)を、その子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)が638(舒明10)年に寺として改めた、聖

和歌山に水軍由来の岡本さんのルーツが

一方、武家の岡本氏の系統は多岐にわたっています。


紀伊国(和歌山県)の岡本氏は葛城国造(かつらぎのくにのみやつこ=大和国南西部を支配した国造)の後裔ともいわれ、紀伊国海草郡雑賀(さいが/現・和歌山市)を発祥とする雑賀氏族。

雑賀氏族の岡本氏は、その戦いは負け知らずといわれた雑賀水軍(さいかすいぐん=雑賀衆)として熊野・讃岐方面で活動し、本願寺勢力と織田信長が激突した石山合戦においては毛利水軍とともに活躍しています。

神奈川県横須賀には雑賀姓が多いのですが、これは紀州の雑賀水軍をルーツとする末裔。
有名なデパートの「さいか屋」は、雑賀衆の末裔とされる岡本傅兵衛が慶応3年(1867年)に呉服屋を開いたのが始まりで、その子・岡本伝之助が百貨店「さいか屋」を設立しています。

「さいか屋」の岡本さんのルーツでもある和歌山市小雑賀(雑賀氏族のルーツ)には、岡本皮フ科、岡本内科が入る岡本クリニックビル、さらに岡本助産院と岡本さんがズラリ。
和歌川と和田川に囲まれた中洲のような地形は、まさに水軍の拠点にふさわしい感じです。
城下町が開かれる以前の現在の市街地が、雑賀と呼ばれていたので、実際のルーツは小雑賀にとどまることはありません。

南房総には岡本城が!

そのほかの武家の岡本氏としては、安房国平群(へぐり)郡岡本を発祥とする清和源氏里見氏流の岡本氏も有名。

急斜面の崖が海に迫る内房の海岸線の上に、安房里見水軍の基地だった岡本城(千葉県南房総市富浦町豊岡)があり、現在は里見公園となっています。
この岡本城もやはり、水軍ゆかりの地。

岡本城は、元々は里見氏家臣の岡本豊前守氏元の居城でしたが、元亀元年(1570年)、里見義弘に召し上げられています。

眼下に天然の良港をもつ岡本城は、三浦の水軍(北条氏)に対峙する里見氏の防御の拠点として機能。
築いたのは岡本氏だから、ルーツをたどれば案外、雑賀水軍にたどり着くのかもしれません。
紀州から海を渡って安房へというルートがあったのでしょうか。

栃木にもルーツを発見

北関東では、下野国河内郡岡本(現在の栃木県宇都宮市下岡本町・中岡本町一帯)を発祥とする清原姓芳賀氏族の岡本氏も有名です。

この下野国の岡本氏は、宇都宮氏の家中で「紀清党」と呼ばれ、その勇猛振りで知られた清原姓芳賀氏の一族です。
鬼怒川(きぬがわ)の支流に臨む段丘上に築かれた崖端城である岡本城(宇都宮市中岡本町)で出生した岡本重親(おかもとしげちか)は、やがて、松ヶ嶺城(まつがねじょう/栃木県矢板市上太田)を築いて居城としています。

岡本城には土塁などが現存し、松ヶ嶺城もその城郭遺構は、一部を除いてほぼ完全に残されています。
栃木県を中心に北関東の岡本さんにとっては貴重なルーツとなっています。

伊勢にも岡本さんのルーツが

伊勢亀山城の多門櫓

岡本氏関連の城としては、伊勢亀山城(亀山市本丸町)もぜひ訪れたい城のひとつ。

亀山古城は鎌倉時代に関氏によって築かれ、天正18年(1590年)に、豊臣秀吉に従った岡本宗憲(おかもとそうけん )が入城後、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成されています。

この亀山城、藩政時代には東海道の貴重な守りの城となり、徳川家康、秀忠、家光など3代にわたって将軍が本丸を休泊に利用しています。

ただし岡本宗憲は、西軍に与した関ヶ原の戦いで自刃し、江戸時代の藩主には岡本家の名はありません。
多聞櫓が見事で、復元された二の丸帯曲輪が美しい亀山城、旧二の丸御殿玄関は、遍照寺本堂(亀山市西町)に移築されています。

尾張国(愛知県)の岡本氏は尾張津島四家七党のひとつで、戦国時代には織田氏、豊臣氏に仕えていますが、岡本宗憲も尾張国春日井郡の出身。
秀吉の朝鮮出兵の際には征渡水軍の船奉行にも任じられています。
なぜか岡本さん、尾張国でも水軍関係に・・・。

余談ですが、岐阜県岐阜市にある鋳物、精密治具メーカーの株式会社ナベヤは、織田信長の三男・織田信孝に仕えた岡本太郎右衛門尉(岡本良勝)が創業したとされる老舗のメーカー。
成田山新勝寺の梵鐘なども制作しています。
岡本良勝は、尾張出身で、岡本氏は熱田神宮の神官家だったとか。

亀山城

亀山城は、1265(文永2)年、関実忠が若山(現・三重県亀山市若山町)に築城した亀山古城に始まる東海道の要衝に位置する城。1590(天正18)年、羽柴秀吉に仕えた岡本良勝が近世的な城郭に変え、その後、歴代藩主の手で城郭が整備されました。藩政

岡本太郎は神奈川出身

「芸術は爆発だ」の岡本太郎は、神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区二子)の出身。
プロゴルファーの岡本綾子(おかもとあやこ)は、広島県豊田郡安芸津町(現・東広島市)の生まれ。
ともにあまり水軍には関係なさそうですが、芸術家は「岡本」を好むようで、世田谷区岡本には数多くの芸術家、芸能人が集まっています。

岡本さんは、奈良県と和歌山県で大姓第8位、岡山件で10位など西日本に多く分布し、東日本には少ない傾向に。
宮崎南部や鹿児島では「岡元」姓もかなりみかけますが、いずれも岡の本(元)という地形由来の名前です。

家紋は、勇猛果敢な武将の家紋である違い鷹の羽を中心に、榊、烏、三つ巴、花輪違い、桔梗、柏、橘、丸に横木瓜、丸に本文字、笹竜胆、亀甲に一角字、結い錦など。
『半七捕物帳』の岡本綺堂(おかもときどう/東京府東京市芝区出身)は蝶紋とのこと。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

岡本さんのルーツを探せ!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

あなたのルーツはどこの誰!? 大姓51位〜55位【岡本・田村・小野・竹内・藤原】

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大姓53位の小野さんは全国に29万人ほどが暮らし、シェアは0.23%ほど。歴史的には小野妹子(おののいもこ)、小野小町(おののこまち)、三跡のひとり小野道風(おののみちかぜ)、小野篁(おののたかむら)と飛鳥時代から平安時代の有名人がずらり。

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