中山さんのルーツを探せ!

千葉県船橋市にある有馬記念(GI)開催で知られる中山競馬場、住所は千葉県船橋市古作1-1-1で市川市中山にあるわけではないのに、なぜ中山競馬場と言うのだろうか。高田馬場の決闘で知られる堀部安兵衛は、その時、まだ中山安兵衛だったのに、映画などでは堀部安兵衛になっている、などなど、少し中山さん探しは混乱が予想される。

関東の中山さんのルーツのひとつが飯能に

中山という地名は、「中間にある山の意」、つまりは中間山村(農林省的には中山間地域)で、主要な地名だけで全国に70個所ほどあるという。

数ある中山のなかでも重要なのは、武蔵国高麗郡(こまぐん)中山(現・埼玉県飯能市中山)。
南に名栗川、北は高麗川との間に隆起した台地の中山は、武蔵七党(横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党)のひとつ、丹党(たんとう)の中山一族の古里である。

鎌倉時代、加治家季は中山に居住し、加治家勝は、中山氏を名乗り、天文15年(1546年)には河越夜戦にも参加している。
中山家勝の子・中山家範は、小田原の後北条氏に従い、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、八王子城の将として詰めて自刃している。
武蔵を基盤とし活動する中山氏は、こうして戦国時代は山内上杉家、ついで後北条氏に仕えた。

中山家範の子・中山照守は徳川家康に仕え、その系列は代々大身の旗本となる。
また中山照守の曾孫に当たる中山直邦は久留里藩3万石の大名黒田家の当主として栄え、中山照守の弟である中山信吉は水戸家の筆頭家老として事実上の大名格の家柄となった。

飯能市中山にある中山氏の菩提寺の智観寺(埼玉県飯能市中山520/TOPの画像)には中山信吉の墓があり、智観寺の北東には中山家範の館跡の堀跡が残っている。
能仁寺(飯能市飯能1329)に中山家勝・家範・照守3代の墓が残されている。

同じ武蔵七党でも児玉党阿佐美氏族中山氏は、上野国吾妻郡中山(吾妻郡高山村中山)の発祥という。

公家の中山忠能は、王政復古の中心人物

他流では、出羽国村山郡中山を発祥とする中山氏や岩城の桓武平氏岩城氏族、下野の山内首藤氏族、常陸の大掾氏系馬場氏族、三河の阿部氏族、播磨の赤松氏族、肥後の菊地氏族、備前の国人の中山氏などがあるが、実は中山氏は公家の名流も多い。

そのなかでも藤原北家花山院流中山氏が主流。
羽林家の一にして、洛東中山より起こる花山院は、藤原氏の本流である関白道長の孫・藤原師実(ふじわらのもろざね)の子家忠が祖。
幕末、中山忠能(なかやまただやす)・忠光親子は尊皇攘夷派の公卿として活躍する。
中山忠能は王政復古の中心人物となるが、中山忠光は天誅組の首領ととなり、後に長州藩の刺客により暗殺されている。

山形県上山市中山に伊達家臣・中山弥太郎の中山城跡があり、高萩市下手綱雉子尾には水戸藩筆頭家老の中山信正の居城であった松岡城跡が、山形県中山町には寒河江大江氏の家臣である出羽国村山郡の中山氏が築いた長崎城跡が、岡山市東区沼には浦上氏の家臣である備前国の中山信正によって築城された亀山城跡がある。
中山信正は宇喜多直家の舅で、本丸後には宇喜多家の軍旗・石碑が建つ。
また、上田市や舞鶴市、半田市にも中山城跡がある。

中山名の神社は、さいたま市見沼区中川の中山神社、津山市一宮の中山神社、寺としては市川市中山の中山法華経寺、宝塚市、福井県高浜町、伊勢市などに中山寺がある。

中山姓は、茨城(大姓31位)、富山(32位)、高知(25位)、佐賀(24位)、熊本(36位)などに多い。

代表家紋は、公家中山氏が中山杜若、丹党は虎杖(いたどり)や枡に月。
他に、丸に丁の字、蔓柏、石持ち花沢瀉、四半幟、蔦菱など珍しい家紋が多い。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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プレスマンユニオン編集部

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