藤原さんのルーツを探せ!

藤原さんは、歴史のなかに度々登場するのだが、案外、身の回りには少ないはず。
全国の藤原さんは30万人。46番目の数だから、東京で暮らしていれば知り合いにはひとり、ふたりといった感じのはず。
しかしながら、佐藤、斎藤、伊藤、加藤、後藤、武藤、近藤、安藤、尾藤、遠藤、工藤、江藤、藤井、藤田、藤本、藤沢、藤岡といった苗字や、藤がつかない苗字でも藤原から出たものが多いから、藤原一族はすごい数になるのだ。実は、天下の大姓「藤原」氏からは400氏・1300万人の苗字が生まれている。
意外にも少ない、正統派藤原さんのルーツを探す旅に出てみよう。

まずは藤原鎌足ゆかりの地へ!

──天智天皇の669年、大化改新の功労者である中臣鎌足(なかとみのかまたり=TOPの画像は五円切手の鎌足)が大和国高市郡藤原(現・奈良県橿原市=藤原京跡)の地に因んで臨終の際に天智天皇から藤原姓を賜り、以来、藤原氏は日本史上最大の有名氏族となる。
つまりは、全国の藤原さん400氏・1300万人のすべてが、藤原京が置かれた橿原市が究極のルーツということになるのだ。

鎌足の子・藤原不比等(ふじわらのふひと)は大宝・養老律令の選定などの功があり、その娘・宮子は聖武天皇を生み、もう一人の娘・安宿(あすかべ)姫は孝謙天皇を生んだ光明皇后である。そして、不比等の四人の息子達、武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)が、南家、北家、式家、京家という四家を成し、互いに競い合うことで藤原氏は巨大な勢力へと成長していった。
とくに北家は、内麻呂、冬嗣(ふゆつぐ)を生み、良房は太政大臣となる。後、藤原道長は娘五人を入内(じゅだい=内裏に参入すること)させ、後一条天皇、後朱雀(ごすざく)、後冷泉(ごれいぜい)の三代の天皇の外戚となり、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌を詠んだという。

藤原さんの始祖である中臣鎌足(藤原鎌足)は、死後、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある多武峯妙楽寺(現・談山神社/たんざんじんじゃ)に祀られる。長男で僧・定恵が唐からの帰国後の天武天皇7年(678年)、墓を摂津安威の地(阿武山古墳=大阪府高槻市奈佐原)から多武峰に移し十三重塔を造立したのが発祥という。
阿武山古墳は、阿武山の中腹・標高約210mの尾根上にある古墳。昭和9年、京都大学の地震観測施設建設の際に偶然発見され、棺内には、銀線で青と緑のガラス玉をつづった玉枕(たままくら)を用い、きらびやかな錦をまとった60歳ほどの男性の遺体が安置されていた。金糸で刺繍した冠帽(かんぼう)を備えていたことから、藤原鎌足が有力視されているのだ。

藤原京の中心施設である藤原宮(ふじわらきゅう)のあったところが今の藤原宮跡。中国の都城制を模して造られた日本初の本格的な都城だ。持統天皇が飛鳥から藤原の地に都を遷したのは持統天皇8年(694年)のこと。大きさは、東西方向約5.3km、南北方向4.8kmで、平城京、平安京をしのぐ古代最大の都。初めて「日本」という国号を使用したのも藤原京を発した遣唐使だったのだ。

藤原京跡
↑藤原さんのルーツの筆頭は、藤原京跡

奥州藤原氏の遺跡も藤原さんの大切なルーツだ

藤原氏は、その後も摂関家として宮廷貴族の大半を占めて存続したが、鎌倉時代以降は姓の藤原ではなく、邸宅のある京の地名などから近衛、鷹司、九条、二条、一条という家名を名乗った。
一方、野に下り武家となった藤原氏もいる。北家(藤原房前)の子孫・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)や藤原利仁(ふじわらのとしひと)がその代表といえよう。

また、平安時代に平泉で栄えた奥州藤原氏は、藤原秀郷の子孫が豪族安倍氏の女婿となり、藤原氏4代の栄華を築いた。
藤原清衡(ふじわらきよひら)は平泉に最初院(後の中尊寺)を、藤原基衡(ふじわらもとひら)は毛越寺(もうつうじ)を再興する。そして、奥州藤原政権の政庁・平泉館(ひらいずみのたち)跡が、今にその跡を残す平泉町の柳之御所(柳之御所遺跡)である。発掘調査により掘立柱建設跡や屋敷群跡、園池跡が見つかっている。現在のところ、柳之御所遺跡は世界遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」からは外されているが、一帯が藤原さんのルーツであることに変わりはない。世界遺産に登録の毛越寺の浄土式庭園などとともに、藤原さんならぜひ訪ねてもらいたい場所だ。
柳之御所遺跡
↑藤原清衡・基衡の屋敷跡と伝えられる柳之御所遺跡

藤原さんの氏神、氏寺にも参拝を

藤原氏の人物の中には、薬子の変(くすこのへん)で自殺した藤原薬子、海賊の棟梁となった藤原純友、『蜻蛉日記』の藤原道綱母、『新古今和歌集』の藤原定家など、日本史の多方面に顔を出している。

もちろん、現在の藤原姓はこうした古代藤原氏直系の苗字だけではなく、藤原部(ふじわらべ)から起ったものや、各地の藤原という地名から起った藤原姓も多数ある。筑紫に防人(さきもり)として派遣された藤原部等母麻呂(ふじわらべのともまろ)は武蔵国埼玉郡の人。「足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも」(『万葉集』第20巻=足柄の峠に立って袖を振れば、家にいる妻ははっきりと見てくれるだろうか)の歌を残している。天平勝宝7年(755)に防人を派遣する際、諸国より選ばれた壮丁(そうてい=成年男子)が父母妻子と惜別の情を歌ったもの。埼玉県行田市藤原町1-27-2の八幡山公園にはこの歌碑が立っているが、春日神社、大御田などの地名から、この地を藤原部等母麿の遺跡と推定し、昭和36年5月1日に八幡山古墳に隣接して歌碑を建立したもの。
埼玉県周辺に住む藤原さんなら、ひょっとするとここがルーツなのかもしれない。

藤原氏の氏神は春日大社(奈良市春日野町)と枚岡神社(東大阪市出雲井町)であり、氏寺は興福寺(奈良市登大路町)。藤原鎌足を祀るのが談山神社(桜井市多武峰)である。藤原さんなら氏神と氏寺は抑えておきたい。
談山神社
↑藤原鎌足を祀る談山神社

藤原姓は中国地方(岡山県で大姓3位、島根で4位、兵庫4位、広島で15位)と、東北(秋田で13位、岩手で15位)に多い。青森県だと418位なので、さずがは奥州藤原氏の故郷・岩手県といった感じだ。奈良県は案外少なくて88位(およそ2600人)となっている。埼玉県も意外に少なく、170位(およそ7500人)。

有名人でいえば、藤原紀香が兵庫県西宮市出身。俳優の藤原竜也は埼玉県秩父市の生まれ。お笑い芸人・藤原一裕は、奈良県生駒市出身。

代表家紋は藤紋、近衛家が牡丹。他に、笹竜胆、菱など。なお、武家の藤原一門の家紋は、美濃斎藤氏は梅/撫子、関東上杉氏は竹に雀、下野の宇都宮・小山・結城氏は巴、伊豆の曽我・工藤氏は庵に木瓜、伊東氏は月星と庵に木瓜、他に、富樫氏は八曜、吉川氏は三つ引両、山内氏は三つ柏、少弐(しょうに)氏は寄り懸目結、大友氏は杏葉(ぎょうよう)、竜造寺氏は日足、菊地氏は鷹の羽など。

 

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