社伝によれば2400年前に創建されたと伝わる古社が埼玉県さいたま市の武蔵一宮氷川神社(むさしいちのみやひかわじんじゃ)。武蔵国(埼玉県、東京都)周辺に数多い氷川神社の総本社です。社名の氷川(ひかわ)は、出雲肥河(斐伊川)の川上に鎮座する杵築大社からの勧請で古代、出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となったことが始まり。
出雲族が武蔵を開拓したことの証ともなるさいたま市の古社
主祭神は、『古事記』に出雲の鳥髪山(現在の船通山)に降臨し、さらに八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したと記される須佐之男命 (すさのおのみこと)。
平安時代前期に成立したと考えられる史書『先代旧事本紀』には、景行天皇の代に出雲の氏族がこの地に移住したことが記され、兄多毛比命が武蔵国の国造になった際に、須佐之男命を尊崇したことに始まるとされています。
摂社の門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)に祀られるのがもともとの地主神であるアラハバキ神が祀られ、パワースポットになっています。
つまり、一帯は古代にヤマト王権の指示の下、出雲族が開拓した地ということに(古墳時代後期の有名な横穴墓群である吉見百穴も出雲式)。
そんな背景があったなのか、元旦に天皇が行なう宮中祭祀のひとつ『四方拝』で拝まれる神社の一社にもなっています。
関東一円に氷川神社が祀られるのは(250社のうち埼玉県に160社、東京都に60社)、承平5年(935年)、平貞盛(たいらのさだもり)が平将門の乱の鎮圧の際に、氷川神社に戦勝祈願して、首尾よく勝利を収めたことから、荒川流域を中心とした武将に信仰が広まったもの。
治承4年(1180年)には源頼朝が社殿を再建し、建久8年(1197年)に神馬神剣を奉納しています。
徳川家康も関東入封後、この氷川神社を尊崇し、関東郡代・伊奈忠次は、参道が中山道なのは恐れ多いと、街道の付替えと門前町の整備を行なっています(旧中山道は現在の県道164号鴻巣桶川さいたま線)。
これが門前町として栄えた現在の大宮のルーツです。
初詣の人出は全国トップ10入り
明治の廃仏毀釈、神仏分離で神社を管理した別当の観音寺は、北足立郡下加村の満福寺(現・さいたま市北区日進町)へと退き(慶応4年3月17日、新政府は氷川神社の社僧・別当に還俗を命じています)、神域の一部に埼玉県で最初の近代公園である大宮公園が開設されています。
「武蔵一宮氷川神社」、「大宮氷川神社」と通称されていますが、埼玉県内に多いほかの氷川神社と区別するためで、正式名は氷川神社です。
さいたま市大宮区(旧大宮市)は氷川神社の門前町として栄え、地名の大宮も氷川神社をさしています。
中山道(なかせんどう)の脇には木造では関東一の高さを誇る大鳥居(一ノ鳥居)があり、2kmに渡って参道が続いています。
30種類680本の木々が茂っていますが、現在では汚染に強いケヤキが中心。
緑豊かな境内はおよそ3万坪の広さで、厳かな雰囲気が漂います。
例年12月10日に行われる『大湯祭』(十日市=とおかまち)には境内に露店が並びにぎわい、熊手、福財布、福神札が授与されます。
大宮氷川神社の御利益は商売繁盛、出世開運などで初詣の人出も210万人ほどで全国トップ10に入り、埼玉県一のパワースポットに。
武蔵一宮氷川神社 | |
名称 | 武蔵一宮氷川神社/むさしいちのみやひかわじんじゃ Hikawa Shrine(Omiya) |
所在地 | 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 |
関連HP | 武蔵一宮氷川神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR大宮駅から徒歩15分または、東武野田線北大宮駅から徒歩5分 |
ドライブで | 首都高速埼玉大宮線与野西出口から約4.7km |
駐車場 | 80台/無料、大湯祭十日市(12月10日)、正月期間は閉鎖 |
問い合わせ | 武蔵一宮氷川神社 TEL:048-641-0137 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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