埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目に鎮座する古社が、調神社(つきじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載の式内社で、調宮(つきのみや)とも呼ばれています。朝廷、あるいは伊勢神宮への調物を貯蔵する御倉が前身とも推測されています。
江戸時代には月待信仰でも隆盛
中世以降は月待信仰の地ともなり、江戸近郊の名所として『江戸名所図会』にも記載され、小林一茶など多くの文人墨客が参拝しています。
神仏習合時代には、月山寺(廃寺)、少し北にある玉蔵院が別当(神社を管理する寺)で、浦和宿ができる以前から門前町を形成していました(浦和中央公園は玉蔵院の境内地だった地)。
現存する社殿は、安政5年(1858年)の造営で、神仏習合の名残りの権現造り。
「調神社の七不思議」として、鳥居がないこと、松がないこと、兎(うさぎ)が神使であること、蝿がいないこと、蚊がいないこと、日蓮聖人駒つなぎのケヤキ、御手洗池(現存せず)に魚を泳がせると片目になることが挙げられていますが、鳥居がないのは倭姫命(やまとひめのみこと)の命で調物の運搬の妨げとなる門や鳥居を取り外したと伝えられています。
神使が兎であることは、狛犬ではなく狛兎が配されることから、多くの参拝者が気づく七不思議のひとつ。
江戸時代に隆盛した月待信仰は、十五夜、十九夜、二十三夜などの月齢の夜、月待講の講員が寄り合い、飲食をともにし月の出を待つ行事(一般的には正月、5月、9月の3回)。
月の満ち欠けが生命力に深いかかわりをもつと信じられ、文化文政年間(1804年〜1830年)に最盛期を迎えています。
境内社の稲荷神社の社殿は、享保18年(1733年)の造営の往時の本殿、現在の本殿の建つ安政5年(1858年)頃まで本殿として使用された建物で、数多くの兎の彫物があるのは、この月待信仰の反映です。
ちなみに、境内に隣接する調公園(つきのみやこうえん)は、明治7年12月12日開園の浦和公園偕楽園が前身で、埼玉県では、最古の公園ということに。
調神社 | |
名称 | 調神社/つきじんじゃ |
所在地 | 埼玉県さいたま市浦和区岸町3 |
関連HP | さいたま観光国際協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR浦和駅から徒歩10分 |
駐車場 | 調神社参拝者専用駐車場 |
問い合わせ | 調神社 TEL:048-822-2254 |
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