滋賀県長浜市の天吉寺山(917.8m)の山上にある古刹、大吉寺(だいきちじ)。平安時代前期、豪族・浅井(あざい)氏が比叡山の僧・安然(あんねん)との協力で開いたと伝えられる天台宗の霊場。天台密教の盛んな時代には伊吹の弥高山、古橋の己高山と並ぶ湖北の霊場として栄えた地です。
平治の乱後、源頼朝も逃れた天台宗の霊場
平治元年12月28日(1160年2月7日)、平治の乱に敗れた源氏が東国に逃げる際に、父・源義朝とはぐれた源頼朝は草野定康(くさのさだやす)の力を借りて大吉寺の天井裏に隠れて難を逃れ、院主の阿願坊らの僧に守らせて自邸に連れ帰って雪解けの春まで匿っています(鎌倉時代の歴史書『吾妻鑑』、『平治物語』)。
源頼朝は、鎌倉に幕府開いた後に、寺を再建し寺領を寄進し(鎌倉時代に寺領3700石の記録があります)、平家に没収された草野定康の領地を回復しています。
応永25年(1418年)には室町幕府4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)が祈願寺として繁栄。
鎌倉時代から室町時代に隆盛を極めた堂宇は、戦国時代の大永5年(1525年)に近江国守護・六角定頼(ろっかくさだより)の兵火、元亀3年(1572年)、織田信長の命により、木下藤吉郎軍の攻撃を受け(『信長公記』)47坊が荒廃。
現在では、標高660m辺に、自然石の礎石が整然と並ぶ本堂跡、仁王門跡、三重塔跡、鐘楼跡、経堂跡、各堂を結ぶ石段、鎌倉時代の覚道上人入定窟(かくどうしょうにんにゅうじょうくつ/覚道上人=中国から一切経を請来、入定窟という名称ですが実際の用途は不明)、閼倁池(あかいけ)、元池、頼朝供養塔などが残され、滋賀県の史跡となっています。
現在の大吉寺は、天吉寺山の寺跡に登る途中、標高300mあたりの一坊跡に大吉寺が復興され、本堂、庫裏、山門など並ぶ小さな山寺になって、法燈を守り、本造聖観音立像、仏像4躯、両界曼茶羅、源頼朝公判物、足利将軍御教書など多くの寺宝を所有しています。
秘仏本尊の聖観音像は、浮木観音とも呼ばれ、60年に一度の開扉となり次回は2049年の予定。
毎年敬老の日(9月第3月曜)には、源頼朝を起源とする『虫供養放生会』が古式に則って齋行されていまする。
大吉寺 | |
名称 | 大吉寺/だいきちじ |
所在地 | 滋賀県長浜市野瀬町217 |
関連HP | 長浜観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR長浜駅から湖国バス野瀬下車、徒歩15分 |
ドライブで | 北陸自動車道長浜ICから約11km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 大吉寺 TEL:0749-76-1051 |
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