安土城 前田利家邸跡

安土城 前田利家邸跡

安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、摠見寺仮本堂(徳川家康邸跡)の手前右手に位置するのが前田利家邸跡。正確な史料がないため、特別史跡安土城跡の名称としては「伝前田利家邸跡」となっています。

前田利家がここで屋敷を構え、信長の家臣として生活

敷地面積は少なくとも3000平米以上と推測され、上・中・下段の3段からなる郭(くるわ)の構成になっています。

下段部分は向かい側にある羽柴秀吉邸の櫓門と対称の位置に同様の規模で虎口があったと推測されています。虎口の南側には屋敷内と大手道を見張る隅櫓が建っていました。

虎口の先には厩(うまや)があり、さらに進むと石段を登って奥座敷に続いています。
正面には主殿へ上る石段が配され、南側の広い石段を上った先に屋敷が建っていました。

前田利家邸跡、羽柴秀吉邸跡からは土器、陶磁器など多数の生活遺物が出土し、実際にここで前田利家や羽柴秀吉が生活していた証となっています。

安土城 前田利家邸跡
名称安土城 前田利家邸跡/あづちじょう まえだとしいえていあと
所在地滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
関連HP織田信長の安土城址と摠見寺公式ホームページ
電車・バスでJR琵琶湖線安土駅から徒歩25分
ドライブで名神高速道路蒲生スマートICから約11km。竜王IC、八日市ICから約14km
駐車場特別史跡安土城跡前駐車場(150台/有料)
問い合わせ安土駅前観光案内所 TEL:0748-46-4234/FAX:0748-46-4234
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
安土城跡

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安土城 徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)

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安土城 羽柴秀吉邸跡

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