滋賀県高島市今津町、琵琶湖汽船の竹生島への観光船が出航する今津港の北、今津漁港近くの旧北国街道沿いに建つのが今津桟橋跡地の碑。石碑の湖側、小さな入江となった部分が、街道時代、琵琶湖舟運の起点となった今津桟橋があった場所で、ここが九里半街道(鯖街道)の終点ということに。
明治33年からは大津と結ぶ汽船も発着した桟橋の跡
日本海の鯖を塩漬けして、牛馬や歩荷(ぼっか)が背負って運んだことが鯖街道という名の由来ですが、往時にそう呼ばれたわけではなく、後世の呼び名。
実は鯖街道は、何ルートもあって、小浜と近江今津を結ぶ九里半街道は、最短ルートで、今津桟橋で琵琶湖舟運の舟に載せて東海道の大津へと運んだのです。
今津宿は北国街道と九里半街道の分岐として、そして琵琶湖舟運の拠点として繁栄したのです。
今津まで運ばれた日本海側の魚や米などの物資は、今津湊から丸子船に乗って大津へと運ばれましたが、このルートにいち早く着目したのは、舟運に長けていた豊臣秀吉です。
羽柴秀吉時代に長浜城を築いた秀吉は、琵琶湖の湖上交通の重要性を熟知しており、湖上交通を一手に管理しようという意図から、「大津百艘船」という組織を築き上げ、結成にも尽力した浅野長吉は、天正15年(1587年)に若狭一国を与えられ、小浜城主となり、九里半街道はさらに隆盛したのです。
文禄4年(1595年)、今津は琵琶湖の要衝だったため、秀吉は前田利家に領有させ、大坂の陣では、3代藩主・前田利常の軍も今津を経由して大坂に向かっています。
寛文12年(1672年)、河村瑞賢が下関を回って瀬戸内海に入るという西廻り航路を確立してからは、物資の大量輸送に鯖街道が使われることはなくなりましたが、明治33年には蒸気船が今津桟橋に着岸するようになり、商人や舞鶴連隊へと向かう兵士が利用しました。
今津桟橋跡近くには加賀藩代官屋敷跡も現存しています(今津桟橋跡地北側の住吉神社近く、旧北国街道沿い)。
画像協力/滋賀県
今津桟橋跡地 | |
名称 | 今津桟橋跡地/いまづさんばしあとち |
所在地 | 滋賀県高島市今津町今津 |
電車・バスで | JR近江今津駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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