永禄9年(1566年)、毛利元就(もうりもとなり)は、尼子氏を降し、石見国平定後に銀の積出港を輌ヶ浦(仁摩)から温泉津(ゆのつ)・沖泊に移しています。沖泊の湾岸には、凝灰岩の岩盤を加工して造られた鼻繰岩(はなぐりいわ)と呼ばれる係留遺構が数多く残っています。牛の鼻に取り付ける環の鼻繰に似ていることが名の由来に。
船を繋いだ係留遺構
現在、鼻繰岩は温泉津湾全体で128個が確認されています。
岩に穴を開けて船を係留する綱を通せる仕組みのほか、杭のように岩を立てた棒状のもの、岩盤に溝を深く掘り込む地元で臼石と呼ばれるもの、周囲を削り落として突起状に成形したもの、岩盤に垂直の穴をあけ、木材を挿入して杭状にしたものと形状はさまざま。
『正保二年石見国絵図』(1645年)によれば沖泊浦は、奥行き100間(約200m)、横40間(約80m)、海の深さ4間(約8m)で、大小70艘の船が係留できると記されています。
沖泊に残る鼻繰岩の周辺には、岬を巡るように細い道があり、この道を伝って船から港へと荷物を運んだことが推測できます。
現在の温泉津漁港にあたる温泉津浦は奥行き70間(約140m)、幅65間(約130m)、深さ3間(約6m)で大小50艘の船が係留できますが、西や北の風、つまりは冬の季節風に弱いと記されていることからもメインの積み出し港は沖泊だったことがわかります。
沖泊・鼻繰岩 | |
名称 | 沖泊・鼻繰岩/おきどまり・はなぐりいわ |
所在地 | 島根県大田市温泉津町温泉津 |
関連HP | 石見銀山ガイドの会公式ホームページ |
ドライブで | 山陰自動車道温泉津ICから約2.7km |
駐車場 | 沖泊港を利用 |
問い合わせ | 大田市観光協会 TEL:0854-88-9950/ FAX:0854-88-9960 |
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