隠岐ユネスコ世界ジオパークに登録される、隠岐の自然と世界ですが、島前(どうぜん)と呼ばれる西ノ島(島根県西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)を形成するのが島前カルデラ(火山性の陥没地形)。島前カルデラの中央火口丘が、西ノ島町の焼火山(たくひやま)で、その山上に焼火神社(たくひじんじゃ)が鎮座しています。
西回り廻船の船人が尊崇した焼火権現
焼火山(451.7m)の山上、標高300mに建つ焼火神社。
焼火という不思議な名前がつくものの、日本の地質百選にも選定される島前カルデラが形成されたのは、およそ500万年前。
地下のマグマだまりが空洞化し、山体中央が陥没すると同時に中心部で新たに火山が噴火し、誕生するのが中央火口丘ですが、焼火山が誕生したのは火山活動の末期で、540万年以上も前のことということに。
焼火山(中央火口丘と焼火神社)として隠岐ユネスコ世界ジオパークのジオサイトになっています。
明治の神仏分離、廃仏毀釈以前は、実は大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)を祀る焼火山雲上寺(たくひさんうんじょうじ)という寺でした。
日本海水運の発展に伴って(中世〜明治以前は日本海が最大の物流交易ルートでした)、焼火権現として、古くから航海安全の神として崇められ、遠く牡鹿半島(三陸海岸)まで信仰を集めたといいます。
現存する社殿(本殿・通殿・拝殿)は、享保17年(1732年)、火砕岩の岩壁にできた洞窟に築かれたもので、国の重要文化財。
この本殿を建てたのは、大坂の大工・鳥居甚兵衛で、大坂で基本的な木造りをし、米子の大工が現地で組み立てています。
島前カルデラの内海は、カルデラ外輪山に囲まれた天然の良港として機能し、西回り航路(北前船)の休泊地となりました。
昼は焼火山自体が灯台の代わりになったでしょうし、夜間は、当時、隆盛していた焼火山雲上寺(焼火権現)の灯明や篝火(かがりび)を、灯台の灯火のように輝いたのです。
そんな地形的な要因を背景に、船乗りたちの信仰を集め、その神徳は東国まで轟き、広重や北斎の浮世絵にも描かれたのです。
焼火神社周辺の自然は、その神聖な存在ゆえに開発の手を逃れ、隠岐独特の植生が残されています。
焼火神社神域植物群として島根県の天然記念物に指定されています。
歌川広重、葛飾北斎の浮世絵に見る 焼火神社
■初代・歌川広重 『六十余州名所図会』 隠岐 焚火の社
嘉永6年(1853年)〜安政3年(1856年)に制作された初代・歌川広重晩年の作が『六十余州名所図会』(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)。
五畿七道の68ヶ国及び江戸からそれぞれ1枚ずつの名所絵69枚に、目録1枚を加えた全70枚からなる名所図会で、現代的にいえば、県を代表するビジュアルスポットを1枚選んだという感じでしょう。
山陰道、隠岐国は、『焚火の社』で、日本海西回り航路の船上から焼火山雲上寺(焼火権現)を拝み、航海安全を祈る姿が描かれています。
■2代・歌川広重『諸国名所百景』 隠岐焚火社
安政5年(1858年)に初代・歌川広重が没した後、安政6年(1859年)、広重の養女お辰の婿になり、2代目広重を襲名し、襲名直後の安政6年(1859年)〜文久元年(1861年)に描いたの『諸国名所百景』。
■葛飾北斎『北斎漫画』七篇 隠岐焚の社
葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集が有名な『北斎漫画』。
江戸時代の百科事典的な存在ですが、全国の名勝のなかに「隠岐焚の社」が入っています。
焼火神社 | |
名称 | 焼火神社/たくひじんじゃ |
所在地 | 島根県隠岐郡西ノ島町美田波止 |
関連HP | 西ノ島町観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 西ノ島別府港フェリーターミナルから約8km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 西ノ島町観光協会 TEL:08514-7-8888/FAX:08514-7-8890 |
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