末盧館

日本の稲作は縄文時代晩期に九州北部から広まったというのが定説ですが、唐津市街の南西部から発掘された菜畑遺跡(なばたけいせき)は日本の稲作発祥の地。菜畑遺跡のビジターセンターである末廬館は、遺跡から発掘された炭化した米、稲穂を摘取る際に使用された石包丁など、貴重な出土品や資料を展示する歴史館。

縄文時代に稲作が行なわれていたことを証明する貴重な出土品を展示

特別展示室には、邪馬台国時代の「末盧国」(まつろこく)の代表遺物を展示。
周辺は遺跡公園として整備され、「出あいふれあいの広場」には日本最古の稲作ムラの竪穴式住居、日本最古の水田、縄文の森などが再現されています。

「末盧」とは3世紀末編纂の『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)に「又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深浅皆沈没取之」と記された末盧国のこと。
海を渡って千余里で末盧国に至り、そこには4000戸が海山に沿って住んでいると記されています。唐津市郊外の「松浦」は、その転じた地名といわれ、近年の調査では唐津市の中原遺跡(なかばるいせき)が末盧国の中心地と推測されています。

日本最古の稲作ムラの竪穴式住居
末盧館
名称末盧館/まつろかん
所在地佐賀県唐津市菜畑3359-2
関連HP唐津観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR唐津駅から徒歩15分
ドライブで西九州自動車道(福岡前原道路)前原東ICから約28.4km
駐車場末盧館臨時駐車場(無料)を利用
問い合わせ末盧館 TEL:0955-73-3673
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/(一社)唐津観光協会

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