豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天守がそびえたのが本丸。三の丸から本丸大手門を抜け、到達します。
天守、多聞櫓などが建ち並んだ本丸の跡
見事な石垣の上にある本丸跡(東西130m、南北125m)には、天守台や多門櫓の跡、そして築城初期の石垣の遺構が残されています。
天守からは晴れていれば壱岐、対馬を眺望し、水軍の出航などを見ることもできたと推測できます。
本丸の西側、南側はある時期に拡張され(理由は定かでありません)、旧石垣の上に新しく石垣が構築され、多門櫓(たもんやぐら)とそれに続く南西隅櫓が築かれ、防御力を増しています。
多聞櫓は、長屋状の櫓で、武器や食糧の貯蔵庫として機能したので、この名護屋城が、単なる外征基地というだけでなく、実戦を意識していたことがわかります。
名護屋城は、天草・島原一揆(島原の乱)の際、廃城となっていた原城に反乱軍が籠城したこともあって、徳川幕府の命を受けた唐津藩が徹底的に破却し、天守はもちろん、天守台、多聞櫓の石垣なども大部分が失われています。
南西隅櫓もわずかに礎石が発掘されるのみですが、往時には物見櫓として機能していました。
本丸では、破却の様子がわかるような解説板も設置されているので、注目を。
ちなみに、豊臣秀吉が在城した際には、本丸ではなく、「黄金の茶室」を築いた山里丸を居館にしていました。
名護屋城・本丸 | |
名称 | 名護屋城・本丸/なごやじょう・ほんまる |
所在地 | 佐賀県唐津市鎮西町名護屋 |
関連HP | 肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会公式ホームページ |
電車・バスで | JR唐津駅大手口バスセンターから昭和バス波戸岬行きで40分、名護屋城博物館入口下車、徒歩5分。またはタクシーで30分 |
ドライブで | 九州自動車道福岡ICから約75km |
駐車場 | 名護屋城跡大手門駐車場(60台/無料) |
問い合わせ | 名護屋城跡観光案内所 TEL:0955-82-5774 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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